11話のバニーさんの記者会見直前のお話。できてないけど兎虎。


会見直前






 深呼吸を、ひとつ、ふたつ。
 両の瞳を閉じ、軽くうつむいたままに息を整える。

 ――わかっていたはずだろう、いつかこういう時が来るって

 己にそう言い聞かせても、そのいつかが『今』だという実感が、未だ薄い。
 もうひとつ、深く息を吸う。
 両の瞳を閉じたままに天を仰ぎ、バーナビーは細く長く、その息を吐き出した。意識をしなければ、呼吸をする事すらもままならない。
 ……否、ままならなく、なるのだろう。これから、きっと。今までよりも、ずっと。
 両親を殺害した犯人を探し出す為にヒーローになった以上、いつかその事実を公表する時が来る事は承知の上だった。けれどそれがこんな形になるとは、想定の範囲外だ。
 廊下の壁に背中を預け、ゴツリと後頭部を押し付ける。マーベリックが行う記者会見が始まるまでの時間は、あとわずかだ。承知している事とは言え、心の奥底にしまい込んで来た己の過去を人前に晒すのには覚悟が必要だ。
 口の中が乾き、掌が冷たく温度を無くす。
 それを抑え込むように、バーナビーは殊更にゆっくりと呼吸を繰り返した。

 ――大丈夫、大丈夫だ

 自分自身に言い聞かせ、呼吸を六つまで数えた、その時。
「バニー!」
 聞き慣れてしまったその声が、聞き慣れてしまった呼び方で、彼を呼んだ。
 ゆっくりと繰り返していた呼吸が、ヒュッと音を立て、常の速さに戻る。瞑っていた瞳を開けば、長い廊下をこちらに駆け寄る相棒の姿が目に入る。
 自身と同じく、先ほどまでのアンダースーツ姿ではなく私服に着替えたその姿を見て、バーナビーはふと、肩の力が抜けるのを感じた。力が抜けた事でようやく、今までそこに力が入っていたのだと、そう気付かされる。
「おい、バニー」
 すぐ傍らで歩を緩めた虎徹が再びそう呼ぶのを、ただ、見つめ返す。
 少し低めの、艶のある穏やかな声。この声にバニーと呼ばれるだけで、心が静かに凪いで行く。その存在が傍にあるだけで、まるで背中を緩やかに撫で下ろされているような、そんな心地がするのだ。
 出会った初めの頃からは考えられないような己の変化を、今は笑う余裕さえない。
 冷たく強張っていたバーナビーの掌が、ゆっくりと温度を取り戻す。
「……何しに、来たんですか……」
 努めて平静を装いながら問えば、返されるのは静かな、それでいて強い眼差しだ。
「おまえの顔見にだよ、決まってるだろ」
 顔なんか、さっきまで見てたでしょう。そう言って、憎まれ口のひとつやふたつを続けられれば、良かったのに。いつもならば口にしているであろうそんなセリフは、どれも口から零れてはくれない。装っていた平静だとて、装い切れているのかどうか。
 虎徹の視線を受け止めかね、バーナビーの眼差しが揺らぐと。
「大丈夫、なのか?」
 静かな声が、確かめるようにそう問いかける。
「……ええ」
 一言で返すには複雑過ぎる答えは、結局数瞬の躊躇の後にそんな一言で終わってしまう。その躊躇を見逃さず、虎徹は両の手でバーナビーの頬を挟み込んだ。
「ちょっ……」
「バニー」
 しっかりと顔を固定され、視線を外す事を許さないとでも言うように、射抜く強さで見つめられる。頬を挟み込む乾いた掌、触れられた場所から移るその温かさが、バーナビーの心を静かに静かに撫で付けて行く。
「……大丈夫です」
「本当か?」
「ええ」
 かすかに苦笑しながら答えれば、琥珀の色をした虎徹の瞳に更に深く見つめられる。魂までものぞき込むようなその眼差しを、見つめ返すと。
「んなら、いい」
 ふわり、柔らかく虎徹の顔が解ける。慈しむような、包み込むような、独特の笑顔だ。
「おまえが選択して、納得してんなら」
 いいさ。
 囁くようにそう言った虎徹の言葉の中に含まれたいくつもの意味を感じ取り、バーナビーは不意に泣き出したいような気持ちになる。鼻の奥がつんと痛み、くしゃり、顔が歪んだ。
 自分を頼って構わないのだと、そう言い続けて来た相棒はきっとバーナビーの選択をフォローしてくれるのだろう。今までそうだったように、さも当然という顔をして何の躊躇もなく、支えてくれるに違いないのだ。
 それは最早、確信と言ってもいい強さでバーナビーの心に根差している。
 頼ってもいい、信じても構わない、己の弱い部分すらも晒す事ができる、ただひとりの人。
 ……それが、この、自分の相棒なのだと。
「なーんて顔してんだよ、バニー。男前が台無しだぞ?」
 軽く笑ってそう言いながら、虎徹は挟んでいたその手でぺちぺちとバーナビーの頬をはたく。そのまま離れて行く温もりが惜しいような気持ちのままに、青年は今度は己から手を伸ばした。自分とあまり変わらない高さにある肩に、両の腕を回す。
 肩と背中とに腕を回し、バーナビーは縋る強さでその身体を抱き締めた。
「……バニー?」
「すみません、大丈夫です。……大丈夫ですけど、少しだけ……」
 自分でも、子供のようだという自覚はあった。支えて欲しい、力を貸して欲しいなどと、今まで誰に対しても思った事などなかったというのに。今はただ、この相棒の存在がバーナビーを力付け、包み込んでくれる。
 初めて抱き締めた細めの身体は服の下、しっかりと鍛え上げたしなやかな筋肉に覆われている。バーナビーが感情のままに力を込めて抱き締めても、決して壊れる事はない、そんな安心感に満ちた身体だ。
 ぎゅう、と。力一杯抱き締めて、その肩口に顔を埋める。息を吸い込めば、汗と埃の匂いの向こうで甘苦い虎徹の香水がほのかに香った。
 腕の中の身体がわずかに身動ぎ、背中を穏やかに撫でる手を感じる。子供をなだめるような優しさで動くその手が、今のバーナビーにはひどく心地良かった。

 ――……あの頃以来、なのかな……

 幼かったあの頃、両親が未だ健在だった日々。バーナビーが無心に誰かに抱き着いて、その相手に心も身体も慰撫されるなど、ともすればそれ以来なのかも知れない。少なくともバーナビー自身の記憶では、そうだ。
 気付いた途端、気恥ずかしさと困惑とに襲われて、けれど抱き締めた腕を解く事などできそうもない。ますますきつく両の腕に力を込めれば、腕の中の虎徹がかすかに笑った気配がした。
「……何笑ってるんですか」
「いんや。おじさん頑丈だから、どんだけ強く抱き着いてもいいぞ、バニーちゃん」
「……能力発動しますよ」
「そりゃ勘弁だ、さすがにおじさん壊れちゃうだろ」
 軽口を叩きながら、それでも虎徹の温かな掌はバーナビーの背中を柔らかに撫でていく。
 心のささくれも、緊張も、焦燥も。
 全て、その存在になだめられてしまう。それは今まで感じた事がないほどの心地良さで。雪崩を打つように虎徹に向かって行く己の感情を持て余しながら、バーナビーは年嵩の相棒の匂いを胸一杯に吸い込んだ。
 ウロボロスとの戦闘の後、シャワーも浴びずに待機しているのだ。汗臭さと埃臭さは否めない。けれどその匂いが、今は彼の心を落ち着かせてくれる。同時に身体の奥に何かがざわりと沸き起こるのもまた、事実ではあったけれど。
 肩口に埋めた唇を、服越し、鎖骨に押し当てる。
 そうと悟られぬように、そっと。
 まるで信仰のような恭しさで触れ、ぎゅっと両の瞳を閉じる。
 何故触れたいのか、その理由には己自身でも未だ気付かぬままに、バーナビーはもうひとつ、大きく息を吸い込んだ。
 彼に力を与えるたったひとつの存在が、ぽんぽんと背中を叩く。
「……そろそろ時間だろ、バニー」
 言葉に顔を上げれば、静かな、それでいて強い琥珀の瞳がバーナビーを間近で見つめている。
「わかってますよ、そのくらい」
「あっそ」
 いつも通りの生意気な言い方をすると、虎徹もまた、肩を竦めてするりと身を離す。両腕の隙間がひどく寂しい事には気付かないフリをして、バーナビーはきゅっと眼鏡を押し上げた。
「行って来いよ、相棒。……しっかり見ててやるから」
「言われなくても」
 わざわざ私服に着替え、アイマスクも外し。ワイルドタイガーとしてだけでなく、鏑木・T・虎徹個人として、バーナビーの会見を見守ると。言葉にはせずそう告げた虎徹の思いを受け止めて、青年はくるりと踵を返した。
 掌は、もう冷たく強張ってなどいない。
 例えこの先、呼吸すらままならなくなるような、そんな日々が待っているのだとしても。この人がいるのならば何も恐れる事はないのだと、そう思い。バーナビーはひとり、フラッシュの渦に包まれる会見場へと、歩み出したのだった。



20116014 了








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