「ザンザス」
声が、少しだけ似てきた。若い頃の、あの男に。
「……ザンザス……」
けれど決定的に違うのは、あの男はこんな風な甘さを含んで、自分の名前を呼んだ事がないという事だ。
そこまで考え、ザンザスは閉じていた瞳を開いた。
目の前には、綱吉の顔。ドン・ボンゴレ十代目たる男の、どこか幼げで甘ったるい表情。
ゆっくりと瞬きをしつつその顔を眺めていると、綱吉は微笑みながら顔を近づけて来た。唇に、小さな接吻が落とされる。絡ませる事なくほんの少し離れ、鼻先を擦り合わせて再び口吻ける。戯れるようなそれに喉奥で笑い、ザンザスは両手で綱吉の髪をかき混ぜた。愛撫のように地肌に指を這わせれば、綱吉はうっとりと目を細める。
それを眺めてひとつ吐息をつき、ザンザスは綱吉の首筋に唇を埋めた。そのまま、埋めた鼻先で息を吸い込めば綱吉の匂いが身体中に満ちる。伸びやかな若木のような、日向の暖かさのような、綱吉の匂い。それもまた、子供の頃から求め続けたあの男の匂いとよく似ていて。
少しずつ、少しずつ。
成長と共に、あの男に似た部分が増えていく。
間近で己を見つめる瞳を見返しながら、ザンザスはゆるりと唇を緩めた。
「何、考えてるの……?」
あの男と同じ色の瞳にザンザスだけを映し、綱吉は甘い声でそう尋ねる。それに答える事なく、ザンザスは綱吉の耳元に唇を埋めた。耳の裏、皮膚の薄い敏感な部分をねっとりと舐め上げる。吐息と舌とで甘く誘えば、綱吉はうっとりと息をついてザンザスの身体に指を這わせた。
「珍しいね、積極的……」
―――それとも、誤摩化したいのかな
続く言葉は心の中で。綱吉はゆるりと瞳を流し、ザンザスを眺めやる。
―――何を、っていうか。誰の事、だよね
もっとも、誰の事を考えていたのかなど、綱吉は承知している。……承知しては、いるが。
寂しいのもまた、事実だ。
戯れるような指先がザンザスの肋を彷徨い、胸の尖りをかすめていく。ふ、とザンザスの唇から息が洩れたのに笑って、綱吉はその両腕をシーツに縫い止めた。広い寝台の上、白いシャツの前を開かれたザンザスが緩く唇を開いて綱吉を見上げている。
男二人が絡み合ってもびくともしない、広々としたベッド。
手触りの良い上等なシーツ。
平凡な中学生だったあの頃の綱吉は、こんなベッドで眠る日が来るなんて夢にも思っていなかった。
ましてや、そのベッドで肌を重ねる相手が、大マフィアの御曹司だなんて事は。
そして。
―――自分の父親に、嫉妬する日が来るなんて
想像した事もなかったと思い、綱吉は心の内で己を嗤う。そんな日が来るなんて、まさかあると思ってはいなかった。
羽飾りをかきわけ、耳の下から首筋へと唇を這わせれば、心地よさげな吐息をついて、ザンザスが首をあおのける。美しいラインを描いて無防備に晒された顎下から喉仏へと舌を這わせ、そのくぼみを吸い上げる。
「……、ん」
鼻から洩れた吐息を耳にしながら、綱吉はシャツを滑り落としたザンザスの肩口に歯を立てた。
「……っ!」
甘噛みと言うにはきつめのそれに、ザンザスが眉を寄せて綱吉を睨みつける。
「痛ぇだろ」
ザンザスの上に覆い被さるようにして、間近で綱吉は唇の両端を吊り上げてみせた。
「他の事考えてた、お仕置き」
その言葉にザンザスの瞳が、見る見る内に怒気を孕む。噴き出す炎のように燃え盛る怒りが、綱吉を焼き付くしたいかのように押し寄せる。びりびりと空気を震わせるその怒りに、綱吉が目を細めると。
「いっっった!!」
ザンザスが。
容赦ない力を込めて、綱吉の左肩に噛み付いていた。
肉を抉りとるような勢いで、ぎりぎりと歯を立てる。
「痛い痛い痛いザンザス!」
悲鳴に近い叫びをあげて身を捩る綱吉に満足したのか、ザンザスがようやく肩を解放する。涙目のままに噛まれた左肩を見れば、見事に歯形が刻み込まれていた。さすがに血は出ていないものの、くっきりと肉に刻み込まれた歯形は、皮膚の下に血を滲ませていた。数日すれば、紫になるかどす黒くなるか。見るも無惨な痕になるのは確実だろう。
「酷いなあ、ザンザス」
「てめぇが悪いんだろうが」
寝台の上に上体を起こし、ぎらつくような両目で、ザンザスが綱吉を睨み据えている。今にも歯を剥き出して獰猛な唸り声を上げそうなその様子に、綱吉はひっそりと忍び笑った。
―――そう、それでいい
怒りに任せても何でもいい。記憶の中の男ではなく、今、目の前にいるオレを見て。
そう、心のどこかで懇願するように思いながら、綱吉は己を睨みつける男に再び指を伸ばす。
「ヤらねぇぞ、カス」
「ダメだよ。誘ったのそっちじゃん」
「気が失せた。のけ」
「やだ」
上にまたがったまま一向に退く気配の無い綱吉に更に怒りを煽られて、ザンザスの眦が吊り上がる。間近でそれを眺めてうっとりと笑い、綱吉はゆるく勃ち上がりかけたザンザスの下肢に指を這わせた。
「じゃあこれ、どうする?」
「……っ、うるせぇよ」
睨み据える紅い瞳には、人の悪い笑みを浮かべる綱吉の姿が映り込んでいる。
綱吉の姿だけが。
その事に満足し、服の上から撫でていたザンザスのものを、指先でかたどるようになぞってやる。
自分を映す瞳がかすかに揺らめき、欲を灯すのに目を細め。覆い被さるようにして、ゆっくりと寝台へ押し戻す。先ほど噛んだ肩口の痕へ、接吻を落として吸い上げると、頭の上からザンザスの舌打ちが響き、それがおかしくて綱吉は肩口に顔を埋めたまま小さく笑った。
「くすぐってぇ」
「うん、ごめんね」
不貞腐れた声には、甘い返事を。
噛み痕には、甘い接吻を。
未だずくずくと痛む己の左肩をちらりと横目で確かめ、綱吉は唇を吊り上げる。
ザンザスがこんな痕を残す相手は、自分だ。
そして、ザンザスにこんな痕を残すのも。
自分だけだ。
家光では、ない。
噛み痕の上に付けた接吻の印を指で辿り、綱吉はひっそりと嗤う。
噛んで、口吻けて。
全ての痕を自分のものにしてしまいたいと、そう思いながら。
6/JUN/2007 了
|