若い頃の家光とザンザス。家←ザン。


あらゆる他の喜びよりも




 図書室の空気は、静かで乾いて、どこかほんのりと黴臭くて。ボンゴレ屋敷の中でもある種、異質な場所だ。
 静謐なその空気をザンザスは存外に気に入っていて、書物が好きな事も手伝い、少年は暇があるとこの部屋にひとりで閉じこもっている事が多かった。何よりも、ここにいれば他者と関わらなくて済む。媚びへつらう者達とも、足下をすくう機会を伺う輩とも、恐怖に顔を引きつらせる連中とも。
 凝った造りの書架に乗せた分厚い本のページを、静かにめくる。音のない部屋の中、それだけが唯一許された音だった。
 その部屋の扉が、小さくノックされる。
 敢えてそれには返事をせずに、ザンザスは無言で本を読み続けた。ノックの主はわかっている。その男に自分を探させたくて、今日はこの部屋にいたようなものなのだから。
 答えがないのを気にもしないのか、扉が開かれ室内に何者かが入って来る気配。毛足の長い上等な絨毯は、その男の足音を全て吸い込んで消し去っていた。
 気配が近付く。
 一歩、また一歩と。
 そして、座るザンザスのすぐ横に立ち。
「こんなとこにいたのかぁ、ザンザス」
 上から降り注いだ声に、ザンザスはゆっくりと顔を上げた。気配が近付くのを感じても敢えて今まで顔を上げなかった、その理由は単純だ。
 この声に名前を呼ばれたかったから。
 この、低く穏やかな、太陽の暖かさを滲ませる声に。
「……家光」
 読みかけの分厚い本から目を上げて、己を見下ろす男を眺める。なるべく、感情を乗せないように、無表情を装って。
「なんだよー、せっかく帰って来たのに、おまえどこにもいないんだもん。お出迎えもしてくれないしさ。嫌われたかと思ってブロークンハートだったぞぅ」
 何が出迎えだ、ブロークンハートだ。
 言い返したいのを、馬鹿馬鹿しいと飲み込んで。軽く肩をすくめてみせる。
「オレだって忙しい」
「なーまいき」
「ふざけんな」
 からかう声音に、厚めの唇を無意識に尖らせる。こんな風に、ごく自然にザンザスに接する者などこの屋敷では限られている。そして、ザンザスがそれを許す相手も。
 唇を尖らせたままで改めて家光の姿を眺めれば。その服装が、普段と違う。日本から帰って来たそのままなのだろう、いつものブラックスーツ姿ではなく、ラフな格好だ。
 ザンザスの腹の底から、いらりと苛立ちが沸き上がる。家光の居場所は別の世界にあるのだと、思い知らされるようで。紅い瞳がかすかに揺れる。ダメだ、感情を表に出すな。そう制す心の声も、今はあまり役には立ってくれなかった。
「……似合わねー服」
 半眼閉じてザンザスがそうけなすと、男は困ったように頭を掻いた。
「そうか〜?奈々の見立てなんだけどなぁ」
 妻の見立てた服。
 わかりきっている事だ。
 しかもわざわざ、言わせる方向に話を持っていったのはザンザス自身で。傷つく権利も理由もありはしないというのに、どうしても心が疼いた。
 何故こんなにも、胸が痛むのか。
 何故。
 こんなにも、思い知らされる。
「屋敷ん中で妙な格好してんじゃねぇよ」
 顔を見ずに苛立ちを含んだ声でそう言えば、家光が傍らに椅子を引き寄せて座り込んだ。空気の動きと共に、ふわりと家光の匂いがザンザスへと流れ寄る。かすかに苦みを含んだ、深みのある穏やかな甘さ。昔から家光が愛用しているその香水と混ざり合う家光自身の匂いに、ザンザスは唇を噛んだ。情慾、というものの意味を知ってしまった今となっては、その匂いはザンザスにとって好ましく心地よいだけのものではなくなってしまって。
「ザンザス」
 呼ぶ声に、胸が疼く。
「……んだよ」
「帰って来て着替えもせずに探してたんだぞぅ?おかえり〜くらい言えよ」
「……」
「ほら」
「……おかえり」
「ただいま〜」
 良く言えましたとばかりに頭を撫で回す手が、鬱陶しい。鬱陶しくて、心地良い。思わず目を細め、その掌が頭を撫で回すのに任せてしまう。
 骨張った大きな手。節くれ立った指に、乾いた掌。
 幼い子供の頃から無造作に触れてきたその手に、もっと触れられたいと願うようになったのはいつ頃からだったのか、ザンザスにはよくわからない。つい最近のような気もするし、ずいぶんと以前からだったような気もする。
 ひとしきり自分の髪を乱した手が離れていくのを、どこか惜しいような気持ちで眺めていると。その手はそのまま家光の服のポケットに入れられ、何かを取り出す。
「ん、これ」
 ザンザスの掌に乗せられたのは、小さな包み紙。カサリと音を立てた小さなそれは、家光の温もりをザンザスに分け与えてくる。
「何だ、これ」
「いつものお土産」
「……いらねーって、言った」
 土産などいらないと、そう言ったのに。複雑な気分でザンザスは唇を尖らせた。
「言ってたけど、買って来たかったんだよ」
 オレが。
 そう囁く声に唇を尖らせたまま顔を上げれば、男は驚くほどに優しい顔をしてザンザスを覗き込んでいた。瞬間、狼狽して頬に朱が散る。
「な、んだよ……!」
「ありがとうは?」
「……」
「ほら。ちゃんと、ありがとう、は?」
 幼い子供にでも言い聞かせるようなその口調に、ザンザスは苛々と眉を寄せる。
「ガキ扱いすんな」
「人から物もらって、ありがとうも言えないんじゃガキ以下だぞー」
「……っ」
 意地悪く笑いかける家光に、少年は癇癪を起こしそうになり。けれど、手の中の包み紙に、ふと怒りが削がれた。家光の、温もりに。
「……アリガトウ」
「なんだー、棒読みだぞザンザス」
 不貞腐れた物言いに、家光はさもおかしげに笑ってみせた。再び手を伸ばし、ザンザスの頭を乱暴に撫でて。ひとつ伸びをして、家光は椅子から立ち上がる。
「んー、さてっ、と」
 首をコキコキと鳴らして身体を伸ばし、男はやれやれとばかりに自分の肩を叩いた。
「じゃ、行くかな」
「あ?」
 もうかよ、と言いたげなザンザスの顔に苦笑して、ザンザスの手の中の包み紙を指差してみせる。
「それ、おまえに渡そうと思って来ただけだからさ。ホントに帰って来たばっかなのよ」
 くあ、と欠伸を漏らしながら家光は言葉を続ける。
「それに、お坊ちゃまが拗ねてやしないかと気になってね〜」
「なっ……!」
 言われた言葉に反論しようと口を開くが、生憎と言葉が出てこない。まだ子供の気配を残す少年の頬は、自分ではどうにもできずに赤く染まって噴火寸前だ。
「拗ねてなんかいねぇよ!」
「あ、そう?」
 とぼけた顔でそう応じ、家光は扉へ向かって歩き始めた。その背中に、ザンザスが喚く。
「いつまでもガキ扱いしてんじゃねぇぞ家光!」
 怒りと言うよりは羞恥による衝動のまま、先ほど渡された土産の包みを投げつける。と、家光はくるりと振り返ってそれを難なくキャッチし。そのままひょいとザンザスに投げ返した。
「そんくらい元気あるなら大丈夫だな」
「何がだ」
 投げ返された包みを仏頂面で受け取って、ザンザスはぐっと顎を引いて応じる。
「妙におとなしいから、心配した」
「いらねぇよ」
「はは、良い子だ。また後でな」
 後ろ手に軽く手を振って、家光は廊下へと続く扉を開けた。体格の良い家光の後ろ姿が、廊下からの明かりでシルエットを際立たせる。それに一瞬だけ目を奪われ。
「……っ、ガキじゃねぇ!」
 喚くザンザスの声は、既に閉まった扉に閉ざされた。
 後に残されたのは、家光のほのかな残り香と、手の内の小さな包み。家光が触れていたその包みは、まだその温かさが残っているようで。
「……畜生……」
 淡い残り香に、胸の奥のどこかをぎゅっと掴まれたようになりながら、ザンザスはひとり、静かすぎる部屋の中で呟きを落とした。
「いつまでも……子供扱いしてんじゃねぇよ……家光」
 握りしめた包み紙に囁きかけ、ザンザスはぐっと瞳を閉じる。
 頭を撫でる乾いた掌、鷹揚な笑顔、暖かな匂いを放つ大きな身体。
 それら全てが欲しいのだと、大声で喚けば手に入るのだろうか。そんなはずがないのは最初から百も承知で、ザンザスは小さく自嘲した。手に入るはずもない、けれど欲しくて仕方ない男を想い、唇が渇く。
 欲しいのだなどと、気付かなければどれほど楽だっただろうか。
「……家光」
 乾いた唇から零れ落ちたその名前は、こそりとも音を立てない古びた本に吸い込まれ、沈み込むように消えて行った。



3/JUN/2007 了



これでお土産の中身が何故かチョロQだったりしたら
ザンザスの憤怒の炎が発動するに違いない。「ガキじゃねぇぇぇ!!!」
家光は、ザンザスの事を年の離れた弟か、
近しい甥っ子、或いは我が子のように思ってると思う。
いずれにせよ、家族同様に愛していてくれるといい。
ザンザスをたしなめられる数少ない大人のひとりが家光。そんな妄想。



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