数年後の綱吉とザンザス。

Bocolo-2




 降り注ぐ陽光は春から初夏へと移り変わる途中の明るさで、爽やかに吹き抜ける風と相まって、何とも言えない心地よさだ。綱吉はひとつ大きく伸びをして、深呼吸をした。
「うわー、すごいよ!ホントに運河だよ運河!水の上に建物建ってるよ!すげー!」
 子供のようにそうはしゃぎ、辺りを見回す。家光が綱吉に『行ってこい』と送り出した先は、ミラノでもローマでもナポリでもなく、ヴェネツィアだった。狭い観光地であるが故に、万が一にも敵勢力からの襲撃などがないと思ったのであろう。もっとも、綱吉とザンザスが揃っていれば、軍隊が襲って来てもとても負けるとは思えないが。
「……だりぃ」
「うわ、ゴンドラだゴンドラ。映画みたいだよ!」
 ああ、いつかこういうところに京子ちゃんと一緒に来られたらなぁ……などと夢見がちな事を考えて、綱吉はひとりで照れて頭を掻いた。結局のところ、綱吉と京子の関係は未だに『良いお友達』止まり。綱吉に、そこから一歩踏み出そうという勇気など、あるはずもなく。いつかそのうち、という自分への言い訳で誤摩化しているわけなのだ。

 ―――や、ホラ、オレもボンゴレ関連で色々忙しかったし!

 そんな事を思いつつ、細い路地の真ん中でガイドブックを開く。
「ねえ、ザンザス。この次、どっちに曲がればいいの?」
 振り返ると、そこにザンザスの姿はなく。
「んなぁぁっ?!」
 綱吉はたったひとり、見知らぬ土地の見知らぬ路地で佇んでいた。
「え、えぇぇぇぇ?!」
 迷子?!オレってば迷子なの?!と心の中で叫びつつ、しかし一本道で姿が消えるはずもないとザンザスを探す。右手は建物の壁、左は水路。水路に落ちたのでなければ、少なくとも近くにはいるはずだ。
「ザンザス!ザンザース!」

 ―――まさか、オレをここに捨てて行くのが目的だったとかー?!

 そんな、子供のいやがらせじゃないんだから!
 心の中でひとりで突っ込み、綱吉は慌てて道を引き返す。
「ザンザ……」
「おい、ここだカス」
 艶のある低めの声に呼び止められ、きょろきょろと辺りを見回せば、薄暗い建物の中にザンザスが立っていた。一見すると店かどうかもわからなかったが、中にはカウンターがあり、確かに表にBARと書かれている。綱吉が振り向いたのを確認すると、ザンザスはさっさと店の奥へと入ってしまった。慌ててその後を追いかける綱吉を振り返りもせず、
「スプマンテだ」
「え?」
「注文しろ。イタリア語勉強してんだろうが」
 できねえわけねぇな?と視線で告げられ、綱吉は押し黙るしかない。カウンターのレジの向こうでは、店員が二人を妙な顔付きで見比べている。明らかにカタギには見えない男に、その連れはどう見ても学生風の東洋人。異様な取り合わせとしか言いようがない。しかもカタギでない方は、挨拶もせずズカズカと店の奥へ入って自宅ででもあるかのように寛いでいる。はっきり言って関わり合いになりたくないが、出て行ってくれとも言えないという複雑なところだろう。

 ―――ですよねぇー、オレもできる事なら関わりたくないよ

 唇を噛み締めつつ、かじりかけのイタリア語でなんとか注文を終える。リボーンからイタリア語を教わっているのは、何もザンザスのパシリをする為ではないと思うのだが。
 更に支払いは当然のように、
「払っとけ」
と、いう事らしく。綱吉は財布からなけなしの金を出しながら、深いため息を落とした。いずれボンゴレ十代目になるとは言え、今の綱吉はただの高校生なのだ。自由になる金など、小遣いしかないと言うのに。

 ―――何でこの御曹司の分までお金払わなきゃなんないのー?!

 もちろん情けない事に、文句は心の中でだけ。
「あのねえザンザス!」
「あ"?」
「お店入るなら入るって言ってよ。オレ危うく迷子になるとこだったじゃん」
「だりぃっつっただろ」
「だるいって言ったら店入るって意味なのかー?!」
「うるせぇよ」
 面倒くさそうにそっぽを向いて、ザンザスはグラスに口を付ける。
「大体、だるいって何だよ!まだ五分も歩いてないよ!」
「だりぃもんはだりぃ」
 柔らかそうな唇がかすかに尖り、まるで子供の言い分だ。突っ込みを入れようとした綱吉の口が、不意に止まった。

 ―――そうだ。ザンザスは。

 『ゆりかご』でその身に受けた零地点突破、それに続く八年間の冷凍仮死状態、更には、綱吉との大空戦。それらによって、身体の機能がいささか衰えているのだという。だから、疲れやすいのだと。長い時間をかけて蝕まれたその身体は、一朝一夕に回復するものではない。家光からほんの少し聞かされただけだが、痛ましいその事実に、綱吉は酷く辛い気持ちになったのを覚えている。無論、リボーンにはいつものごとく『あいつがやらかした事を忘れるんじゃねーぞ』と、きっちり釘を刺されてしまったのではあるが。
「……だ、るいなら、別に休憩するくらい全然いいけどさ」
「当たりめぇだろ。指図すんじゃねぇカス」
「んなっっ……!」

 ―――ナシナシ!今のナシですから!同情とかナシ!

 相変わらずの横暴な言いように、綱吉は一瞬にして己の思考を後悔した。唇を噛み締めつつ震えていると、ザンザスがグラスを傾けながらちらりとこちらに視線を寄越す。ゆるやかに泡の立ち上る淡い淡い黄金色の液体の向こう、紅い瞳がゆったりと瞬く。綱吉が我知らずその色に見蕩れていると。
「で。てめぇはどこに向かってんだ?」
 至極当然のようにそう尋ねられ、綱吉の丸い目が更に丸く見開かれた。
「えっ?ザンザスが案内してくれてるんじゃないの?」
「はぁ?」
 何を言っているのだこいつは。そう言いたげな胡乱な目付きで、ザンザスがグラスを置く。
「場所なんぞ知るか。てめぇが行きたいところに行きゃいいだろうが」
「なぁぁっ?そうだったのー?!」
「何でオレが知らねぇ土地の道案内なんかしなきゃならねぇんだ」
 ごもっとも。
 不本意ながらも言われた言葉に深く頷き、次いで綱吉が青ざめた。
「え、じゃあオレら今、どこにいるの?」
「知るか」
「んなぁぁっ?!」
 まったく頓着しない様子でグラスを傾けるザンザスと対照的に、綱吉は大慌てでガイドブックを引っ張り出す。まだほとんど目も通していない、日本の空港を出る時に急いで買った代物だ。地図を引っ張り出して見てみても、何がなんだかさっぱりわからない。
「ど、どーしよう……」
「どこまでもカスだな。そんなもん、どうにでもなるだろうが」
 グラスの中のスプマンテを飲み干しザンザスは強気にそう言うと、心底呆れたと言うように片眉を上げてみせた。

 ―――その根拠のない自信、いったいどこから来てるんだよ……

 綱吉が力なく、そんな事を考えているとも知らずに。





 約二時間後。
 カフェの片隅に座る風変わりな二人連れの前には、ヴィーノとラッテ・マッキアート。脚を投げ出してヴィーノに口を付けているザンザスは無表情にそっぽを向いたままで、その前では綱吉がテーブルに上半身を投げ出している。
 あの店を出てから、五分歩いてはザンザスが「だりぃ」と呟きバールやカフェに立ち寄るという事を繰り返し。この店で既に五軒目だ。
 これはもう、疲れやすい身体になっているなどというものではなく、ただ単にこの男が怠惰なだけなのではないか。しかも、ようやく綱吉も気付いたのだが、どうやらザンザスが飲んでいるのはずっとアルコールばかりだ。

 ―――まさかホントに、歩くのめんどくさいだけなんじゃ……この人

 なんと言っても、お坊ちゃんだしなあ……。あながち間違ってもいなさそうな結論に達し、綱吉は溜息をついた。特別、観光がしたかった訳ではない。ザンザスのように教養があって、美術にも歴史にも造詣が深いわけでもない。観光や買い物は明日以降に回す事にして、今日のところはとことん深窓の御曹司ザンザス様のペースに付き合ってみようかと。そんな風に思い、綱吉はテーブルに突っ伏したまま忍び笑った。

 ―――ランボのお散歩に付き合ってる時みたいだなぁ

 家にいる小さな子供の行動を思い出し、綱吉の頬が緩む。『ランボさん、のどかわいた!』と、こちらの都合などお構いなしに言い出すところなど実に良く似ているではないか。

 ―――そのうち『ハラ減ったぞ〜!ツナおんぶっぶ〜!』なんて言い出したりして

 心の中だけでその光景を想像し、綱吉は小さく噴き出した。と、テーブルの下でザンザスの脚が綱吉の向こう脛をしたたかに蹴り飛ばす。
「いっっでぇぇぇ!!!」
「さっきから何をニヤニヤしてやがる。薄気味悪ぃんだよカスが」
 前言撤回。
 ランボはここまで酷くない。
「あのなぁ!」
「文句あんのか?」
 向こう脛を押さえて文句を言おうとした口が、ピタリと止まる。ヴィーノの深紅よりもなお深く鮮やかな紅い眼差しが、斜め上から綱吉を見下ろしている。その鋭さ危うさに、気圧されたのか……或いは。
 口をつぐんだ綱吉は言い返す言葉も宙に消えたまま、既に無関心に逸らされている真紅の瞳から目を離す事もできない。離す事のできない理由もわからぬままに、ぼんやりと眺め続けていると。
「ジロジロ見んな」
「え、あ?ごめん」
「鬱陶しい」
 傾けたグラスの上からギロリと険悪な眼差しを寄越し、ザンザスは再びふいと視線を逸らす。つまらなそうにヴィーノで唇を湿し、半眼閉じて吐息をついた。
 先ほどからザンザスは、一度も綱吉以外の人間と口をきいていない。注文も何もかも「てめぇがやれ」の一言で、飲みたいものの名前を綱吉に言うだけだ。おかげで綱吉は、本当に少ししか話せないイタリア語を四苦八苦しながら使う羽目に陥っている。更には、どう考えても道に迷っているらしく。元々この街は地図など頼りにならないくらい迷いやすい街らしいとは言え、ザンザスがお構いなしにフラフラと寄り道をするので、ますます道がわからなくなっているのだった。
 するつもりのない通訳、するはずもない道案内。
 先ほどザンザスは『綱吉のお守』だと言ったが、これではむしろお守をしているのは自分の方ではないかと思い、綱吉は小さく肩をすくめた。

 ―――まあ、お守役には慣れてるからいいけど

 それに、こんな機会でもなければザンザスと差し向かいで過ごす事など考えられなかった。相変わらず、威圧されるし恐怖心もある。けれど、慣れてくればそれもなんとかなるもので。
 今、二人でぼんやりと過ごしているこの空気が、綱吉は案外嫌いではなかった。

 ―――ザンザスの方でどう思ってるかは……ま、一目瞭然だけど

 ほんの少し唇を尖らせ気味にして腕組みをしているザンザスを盗み見て、綱吉はゆっくりとカップを持ち上げる。もうだいぶ冷めてしまったそれを一口だけ飲み込んで、椅子に深く身を沈める。
 『あの』ザンザスが、嫌々ながらとは言えこうして綱吉の行動に付き合っている(否、綱吉『が』付き合っている部分は多分にあるが)のは、九代目と家光の依頼があったから、なのか。或いは、敗れた相手の言う事は『一応』聞く、という姿勢なのか。
 それとも、その両方か。
 いずれにせよ、彼の心にもなにがしかの変化があったとすれば、綱吉にとってもそれは嬉しい事で。口元に運んだカップに隠し、綱吉はほっと唇を緩めた。
「……またニヤついてやがんのか」
 テーブル越しにじわりと耳へ届くのは、地を這うがごとく低い声音。口元を隠していたはずなのに何故バレるのかと、綱吉は首を竦めた。
「笑ってな……」
「てめぇら親子は何でそうなんだ。意味もなくニヤつきやがって」
 眉間に皺を寄せたまま、不貞腐れたように言葉を放り投げる。
「親子って……父さん、も?」
 問い返す綱吉に、ち、とひとつ舌打ちをしてザンザスは苛々と腕を組み換えた。
「そうだろうが。家光もしょっちゅうニヤニヤしてやがる」
 ニヤニヤ。
 まあ、しているな……と納得し、綱吉はひとつ頷く。
「そうかも。……でもなんか」
「あ?」
「……ザンザスって、意外と父さんと……仲いい、の?」
 それは綱吉にとって以前からの疑問で。二人のほんの少しの言葉の端々から、時折感じていた事だった。
「良いわけねぇだろ、あんな奴……」
「だよねぇ」
 そうは答えたものの。ふいと顔を逸らしたザンザスの横顔を眺めつつ、綱吉は物思う。
 ごくたまにしか顔を合わせない自分よりも、九代目の息子としてボンゴレで育ったザンザスの方が、父と共に過ごした時間は長いかも知れない。それを思うと、不思議な事に胸の底から何かがもやりと湧き上がるのだ。

 ―――別に、何も気にしてなんかいない

 そんな子供っぽい、と綱吉はひとり首を振る。けれどその、胸に湧き上がった何ものかが向かう先がザンザスなのか。或いは、家光になのか。それすらも自覚できずに、綱吉はかすかに困惑した。

 ―――何だよ、これ

 何か今日はおかしい、と。綱吉は小さく溜息をついた。慣れぬ旅先のせいか、ザンザスと共にいる緊張からか、どうも思考がおかしな方向へ向かいがちだ。どうしてこんなともうひとつ溜息を落とすと、それを聞き咎めたようにザンザスがくいと片眉を上げた。慌てて埒もない思考を振り払い、綱吉は話題を変える。
「ところでさ、ザンザス。さっきから気になってたんだけど」
「あぁ?」
「なんか、女の人がみんな薔薇の花持ってない?」
 先ほどまでは、気になっても聞くだけの心の余裕がなかったが、気にし始めると驚くほどに、行き交う女性達が紅い薔薇を手にしているのだ。胸に飾ったり、手に持っていたり。それも、老いも若きも、だ。
「イタリアっていつもこうなの?」
「んなわけねぇ」
 切り捨てるようにそう言い、ザンザスは周囲の席の客を眺めつつしばし考える様子だ。黒々とした長い睫毛が、ゆったりとした瞬きの度に揺れる。
「ああ、今日は」
 呟いて紅い瞳を上げ。
「サン・マルコの祝日じゃねぇか」
「サン・マルコ?」
「ああ。だからあれは、Bocoloだ」
「ボッコロ?」
 何がなんだかさっぱりわからずきょとんとした幼い顔付きになった綱吉に、ザンザスはニヤリと唇を歪めて笑う。
「知りてぇか?」
 どこか意地悪いその問いかけに不承不承頷くと。歪めたままの唇にグラスを運び、男は中のヴィーノをすいと飲み干した。空になったグラスを置き、片眉だけを上げてみせ、
「同じものだ」
 注文しろ、と楽しげに告げ、ザンザスは改めてニヤリと笑ってみせた。


29/MAY/2007


Bocolo-3に続く。


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