ゆりかご前のスクとザン。


駒鳥




 鮮やかな光をまとった気配が近付きつつあるのを意識の端に感じ、ザンザスは走らせていた手を一瞬だけ止めた。が、しかし万年筆からインクが落ちるほどの間も留まらず、その手は再び淀みなく紙の上を走る。昼の明るい陽光が射し込む室内は、けれど必要最低限の光量に抑える為にカーテンが引かれている。豪奢でありながらも繊細なレースのそれを背に、ザンザスは背筋を伸ばして執務机に向かっていた。
 気配だけでなく足音も近付いて来たそれは、間違いようもなくスクアーロのものだ。いささか荒っぽい足取りが重厚な床を音高く踏みしめ、こちらへ向かって来る。そのままドアが乱暴にノックされるのを聞きながら、ザンザスは執務机から顔を上げる事もせず、短く一言「入れ」と告げた。
「う"おぉぅ」
 意味不明の響きを発しつつ、スクアーロが扉を大きく開け放つ。大股に中へ踏み込んで来るその姿にちらりと視線を流し、ザンザスは一瞬目を細めた。後ろへと跳ね上げた銀の髪が陽の光を弾く様は、鋼の強さと鋭さを兼ね備えた輝きでザンザスの瞳を射抜いてくる。
「騒がしい」
 口に出して呟けば、それはまさしくこの少年の存在そのものを的確に言い表していて、ザンザスは何とはなしにおかしくなった。その気になれば足音も気配も全て、かき消すように無くす事ができる癖に、仕事以外の普段にはわざとのように喧しいのがスクアーロの常だった。いや、きっとわざとではないのだろう。それが彼の本来あるべき自然の姿なのに違いない。
「う"おぉぉいボスさんよぉ、来てやったぜぇ。用は何だぁ?」
 来て『やった』という言葉にぴくりと片眉を上げてみせれば、うるせぇな悪かったよぉ来させて頂きましただぁとわざわざ言い直す。わかっているのなら最初から素直にそう言えばいいものを、と冷たい視線だけで告げ、ザンザスはひたりとその紅い眼差しをスクアーロに据えた。
「仕事だ」
「あ"ぁ?今度はどこだぁナポリかアムスかロンドンかぁ?」
「近場だ。安心しろ」
 そう言いながらザンザスは立ち上がり、スクアーロの傍らまで優雅な所作で歩み寄るとその肩に手をかける。顔を寄せ耳元に落とされた囁きは、ボンゴレ幹部の息子の名だった。近頃南部の方で勢いづいて来た新興のファミリーと密かに通じる動きがあると、しばらく前にルッスーリアが調べ上げたところだ。ボンゴレ内部の情報を、南部のファミリーに流しているのだ。今はまだ些末な情報だけであっても、いずれどうなるかは火を見るより明らかだ。明らかにボンゴレに対する裏切りであるその行為は、幹部である父親に甘やかされた挙げ句の頭の悪い慢心によるものなのか。或いは、女と博打に金を注ぎ込む馬鹿息子が、さすがに親から見切りを付けられそうで焦り始めたのか。いずれにせよ、生かしておけばこの先のボンゴレの為にはならない存在だ。密通している事が公になれば、身内の掟による死が待っている。それよりは、今のうちに殺した方が使い道があるとザンザスが判断したのだろう。
「例の計画の方かぁ」
 その言葉に目だけで頷き、ザンザスは厚い唇をゆっくりと動かした。
「南の連中を叩きつぶす理由が欲しい。こっちに楯突いて来てるってだけじゃ、ジジイ共は動きゃしねぇんだ」
 南部のファミリーが、こちらに本格的に勢力を広げる前に。邪魔なものは少しでも早く消してしまった方がいい。
「できるだけ残忍に切り刻め。だが欠片ほどもお前が疑われるような痕跡は残すな。南がやったように見せかけろ。できるな?」
「任せとけぇ。奴らの手口なら承知してるぜぇ」
「今、奴はここにいる」
 小さなメモには、有名な避暑地の住所。
「女とヴァカンスかよぉ、いい御身分だなぁう"おい!」
 派手に舌打ちするスクアーロからメモを取り上げ、ザンザスは傍らの蝋燭でそのメモを焼き捨てた。小さな炎を上げて灰になる紙切れを眺めるその唇に、歪んだ笑みがゆるゆると浮かぶ。
「じきに永遠のヴァカンスだ。今のうちに最期の楽しみくらいはくれてやれ」
「違ぇねぇなぁ!」
 その言葉に噴き出し、スクアーロはザンザスの肩にもたれて腹を抱えた。銀糸が頬をくすぐるのを、鬱陶しいと手で払いのけ、ザンザスは腕組みをする。

 ―――この馬鹿息子を材料に、南を叩きつぶす

 愛息子を惨殺されたとあっては、老幹部もがっくり気を落とす事だろう。
 またひとつ、ボンゴレ内部の勢力図が変わる。
 少しずつ、しかし確実に。
 それを思い、ザンザスは頭の中で盤上の駒をひとつ動かした。チェックメイトは、未だ先だ。けれど、見えないほど遠い未来ではない。
 南部の新興ファミリーをつぶす為に使われるのは、恐らくヴァリアーの力だ。幹部連中の凝り固まった脳みそに、『穏健派』のやり方ではダメなのだと知らしめる事が肝要なのだ。その為に、少しずつ。
「なぁ、ザンザス。これでまた一歩、だなぁ」
 ザンザスの肩に肘でもたれかかり、スクアーロは忍び笑う。唇の両端を吊り上げ、楽しくて仕方ないと言いたげに。
 その瞳は傲慢なまでの自信に満ちあふれてザンザスを見つめていた。
 己と、ザンザスと。
 歩む道の力強さを、迷いひとつなく信じている瞳だ。喪失の恐怖も、敗北の惨たらしさも関わりのないものと信じている。
「ああ、一歩だ」
 己を見つめる曇り空のような瞳を見返し、ザンザスも思わず笑い出した。悪戯を仕掛ける子供のように、二人は目を見合わせて忍び笑う。面白くて仕方ない、楽しみで仕方ないとでも言うように。ひとしきり笑い合うと、スクアーロは一転、真面目な顔つきを作ってみせた。肩に触れていた手を、その指先まで滑らせる。
「行こうぜ、ザンザス」
 どこまでも。
 そう、囁いて。
「全て、てめぇの御心のままに、だぁ……我が主」
 滑らせ持ち上げた指の甲に唇を落とし、スクアーロは瞳だけを上げてザンザスに笑んでみせた。それに答える事なく、ザンザスはくっと顎を持ち上げる。未だ指を握りしめたままの銀の髪を無表情に見下ろして。
 ザンザスは低く一言、命を下した。行け、と。
「火種を、作れ」
 闇に灯る炎の強さを宿す、王者の声音で。


18/MAY/2007 了




ゆりかご前の若い頃は、主従というより共犯者的感覚が強かったんじゃないかと思う。
二人で笑い合っているといいな。

あ、タイトルの「駒鳥」は、マザーグースではなく。
誰の言葉だったか忘れたのですが
『駒鳥は巣立ちしてすぐに林の中を一直線に飛ぶ。
そして多くの若い駒鳥が樹木に衝突して地に落ちる』というような意味の言葉を見た事があり。
ふと思い出し「ああ、若スクザンだなあ…」と思ったもので。



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