眠るザンザスの眉間には、起きている時と変わらぬ皺が寄せられている。枕に頬杖をついてその寝顔を眺めつつ、綱吉は唇をゆるりと緩めた。
―――寝てる時まで、こんな顔して
何がそんなに苦しいの?
口に出して問うてみても、きっといらえはないだろう。例え、起きている時であっても。
苦しんでいる自覚も、哀しんでいる自覚もないザンザスは、その答えなど持ってはいない。
ほんの少し、中央だけを開いた唇からは穏やかな寝息。
意識しないと聞き取れないほどのそれに耳を澄ませ、綱吉は胸に湧き上がる甘い疼きに促されるように、ザンザスの唇へと指を伸ばした。
そっと、唇の縁を指先で辿る。
厚めの唇はいつだって柔らかく、口吻けるだけで天にも昇るほど心地良い。
誘い込むような、それでいて拒むようなその唇に、触れてみたくてたまらないのだと自覚したのは一体いつ頃だっただろうか。
上唇をゆるやかに人差し指で辿り、かすかに乾いたその感触に、口吻けて潤したい衝動にかられる。けれど、それはさすがに目を醒まさせてしまいそうで。もう少しだけ眠らせておいてあげたいという思いが先に立ち、綱吉は己の唇を噛む事でその衝動をやり過ごした。
下唇の山に触れ、ふわりと甘いその柔らかさに目を細める。ゆっくりと指先を伝わせると、かすかに開いた唇から洩れる吐息が、ふと強さを変えた。
「……何、してやがる……」
掠れた小さな声が、ザンザスの喉から洩れる。触れたままの指先に伝わる唇の動きに、かかる吐息に、綱吉は蕩けるような笑みを浮かべた。
「ごめんね、起こしちゃった……?」
「寝てる人間の口、弄り回してんじゃねぇ……」
「うん、ごめんね」
濡れ羽色の睫毛が二、三度瞬きを繰り返し、未だ眠りの色をまとう紅い瞳で綱吉を睨む。睨まれた事さえも嬉しいと言いたげに綱吉は微笑み、唇を辿っていた指先を頬へと滑らせた。男らしくすっきりとした線の頬から顎へかけて掌で辿り、形の良い耳たぶを指先でそっと弾く。
「眠い」
吐息に紛れそうな声音でそう呟くザンザスの唇に、穏やかに触れるだけの接吻を落として。
離れる時に立てたチュ、という小さな音がこそばゆい。
そのくすぐったさに笑う間もなく、瞳を閉じたままのザンザスの唇が綱吉を追いかけて来る。
もう一度、触れるだけの甘く優しい接吻。
うっすらと瞳を覗かせたザンザスに、綱吉は甘く微笑みかけた。
「もう少し寝よう?ザンザス……」
聞いている方が恥ずかしくなるような、甘ったるい声。けれど、綱吉にしてみればごくごく普通の、恋人に囁く声に過ぎず。そんな声で囁きかけられたザンザスはと言うと。
「指図すんじゃねえ」
地を這うような低い声でそう応じる。
指図じゃないでしょ!と思っても、それは口には出せないままで。
既にゆるりと微睡みの淵に沈み込もうとしているザンザスの背中を、ただ柔らかに撫で下ろす。愛しくて、大切なのだと告げるように。
すると、眠りかけのザンザスの片手が無意識のように緩慢に上がり、ゆるやかに綱吉の身体に回される。しなやかに伸びた脚もそっと絡み付き、綱吉はその重みの幸福感に、知らず笑み崩れた。
かつてこの腕は、互いを傷つけ、倒す為に振るわれたものだ。
それが今では、互いを抱きしめ慈しむ為に伸ばされる。
……それは、まるで蕩けるような幸福。
甘く穏やかな心地に浸り、綱吉は目の前に晒された寝顔を見つめた。
顔面に走る幾つもの傷痕。
やはり厳しく刻まれた、眉間の皺。
黒々として指に心地よい髪をゆるやかに撫でつつ、思うともなしに綱吉は思う。
この静かな眠りが、いつかもっとザンザスの心を穏やかにするように。
眠りの淵でまで、痛みの記憶に苦しめられずにすむように。
胸の苦しくなるような思いでそう祈りながら、綱吉は目の前の寝顔をどこか切なく見つめる。
―――どうか、どうか。貴方を幸せにできますように
ザンザスに出会わなければ知る事もなかった苦く甘い想いを胸に、綱吉はそっと瞳を閉じる。目の前に晒された眉間の皺に、儚いような接吻を落としながら。
31/MAY/2007 了
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