若家光と子ザンザス。「獅子と仔猫」より少し後のお話。


prendersi una gatta da pelare





 コツリ、と扉を叩く音がした。
 しばらく前から扉の前に留まる気配に気付いてはいたものの、逡巡するようなそれに、家光はこちらから声をかけたものかどうか迷っていたのだった。一度立ち去りかけ、けれど戻って再び扉の前に立った気配はやはりどこか迷う風で。珍しい事もあるものだと、家光は首を傾げた。
「開いてるぞ」
 扉を叩いた音にそう声を返せば、重厚な木の扉の向こうから現れたのは、常と変わらず気難しい顔をした子供だ。今日は特に不機嫌なのか、目が尖っている。
「どーした、ザンザス」
「どうもしねぇよ」
 どうもしないって顔かよ、それが。
 そうは思っても口には出さず、家光は仕方なさげに片頬で笑う。やれやれ、と机に万年筆を置いて頬杖を突き。子供が近付いて来るのを眺めやった。
 絨毯を踏みしめて歩くザンザスは、家光の仮眠用のソファに座り込む。この部屋での定位置であるそのソファに陣取って、子供はクッションを抱え込んだ。
「ケットいるか?」
「いらねぇよ」
「昼寝しに来たんじゃないのか〜?」
「違ぇ」
 抱え込んだクッションに顎を乗せ、ザンザスは厚めの唇を尖らせる。ふくり、と柔らかそうなその唇の山を眺めながら、家光はボリボリと顎を掻いた。
 普段ならば、あやすように、からかうように言葉を重ね、ザンザスから少しずつ言葉と感情を引き出していく。
 けれど今日のザンザスは、いつものように怒りに任せて頑なと言うよりは。

 ―――……しょげてる、のか?

 ザンザスの顔色を見ながら、家光は首をひねる。さすがに、この子供の感情は読み取りにくい。ほとんど全ての感情を怒りにすり替えてしまうザンザスは、自分自身の感情さえもわかっていない事が多いのだ。
 抱えたクッションの房を、無意識にだろう弄り回している子供を視界の端に入れたまま、家光は再び万年筆を取り上げた。とりあえず、当面の用事を済ませてしまおう。
「……何してんだ、家光」
「うん?」
「今何やってんだって聞いてんだ」
「ん〜、うちにハガキ書いてる」
 キレーな絵ハガキ見つけたからさ、とその一葉をひらりと振ってみせる。そこに書いてある内容など、取るに足りぬ、そしてある意味では出鱈目なもの。
 美しく色づく山の写真が刷られたそれを無感動な目で眺め、ザンザスは。
「……そうか」
 ぽつりと一言だけ、言葉を落とした。

 ―――んん?どうした?

 顎をクッションに埋めたまま、ふいとザンザスが視線を逸らした。クッションの房を玩ぶ手はそのままに、紅い瞳の険だけが増す。
「どした?」
「別に」
「どーしたよ〜、ザンザス」
「どうもしねぇよ。葉書なんか書いてねぇで仕事しろ家光」
 じろりと睨みつけてそう言い放つ子供に苦笑して、男は言い訳のような反論を舌に乗せる。
「仕事の合間を縫ってせっせと家族に連絡してんの。オシゴトはちゃんとやってるよ」
 めったに家へ帰れないからこそ、たまには電話や郵便で家族と繋がっていたいのだ。例え、本当の事が話せなくても。
「……そうかよ」
 つまらなさそうに呟き、ザンザスは再び紅い視線を逸らした。
 顎を埋めたクッションの上、無意識なのだろう、左手の親指の爪を噛んでいる。そんな癖は、この子供が屋敷へ引き取られて間もなく、綺麗に治っていたと言うのに。
「……ザンザス?」
「あぁ?」
「つめ」
 目を上げない子供にそう注意を促すと、ハッとしてから唇を噛んで下を向く。何年も消えていたはずの癖を無意識に出してしまった己を恥じるように、きゅ、と眉間にしわが寄る。
 その様子を訝しげに眺め、家光は万年筆の背でこめかみを掻いた。
 ザンザスの心が、どうやらひどく乱れている。
 それもかなりの重傷だ。
 何がどうしたのかはわからないが、乱れた心を怒りと苛立ちにすり替えて、ここで膝を抱えているのは間違いなさそうだ。
 爪を噛んでしまった左手をぎゅっと握り込み、ザンザスは顎を埋めているクッションを乱暴に抱き締めた。

 ―――何が、あった?

 細めた瞳で、注意深く子供の様子を観察する。また誰かに何か言われでもしたか。否、それにしては怒りが少ない。本来ならば怒りではなく、これは。

 ―――……悲しいのか、ザンザス

 決して、認めはしないだろう。自覚すらもないだろう。けれど、この心の乱れは。揺れは。悲しみなのではないだろうか。
 ならば、その原因は?
「ザンザス」
「……んだよ」
「何かあったのか?」
 正攻法。
 思い当たる原因が浮かばないのだから仕方がない。家光は机に頬杖を突いたまま、子供の小さな顔を見つめた。
「何も、ねぇ」
 頑なにそう返すザンザスから視線を逸らさず、家光はかすかに目を眇める。
 口に出さねばわからない事だってあるのに、この子供はいつだって言葉を使うのが苦手だ。言葉の前に感情が爆発するか、言葉にする感情を見失うか、そのどちらか。
「……あれ、そーいや」
 ふと家光は気付く。その声に何かを感じたのか、ザンザスがぴくりと顔を上げた。
「今日お前、九代目と一緒に昼食のはずじゃなかったか?」
 もう、昼食をとるはずの時間だ。それなのに、この子供がここにいると言う事は。
「……何でんな事知ってんだ」
「いや、昨日九代目が嬉しそうに仰ってたから」
 大ボンゴレのドンである九代目の生活は、分刻みのスケジュールに追われている。各地からの報告、トラブル処理の最終判断、各界の重鎮達との欠かせぬ付き合い。故に、息子であるザンザスと共に過ごす時間など、どうにかひねり出しても本当に短いものになってしまう。食事を共にとる事とて、ごく稀だ。せいぜいひと月に一度、どうにか頑張っても、二度。今日はその為に、九代目が時間を空けていたはずだったのだが。

『あの子と一緒にご飯を食べるのはふた月ぶりだよ、家光。このところずっと忙しかったからね。やっとゆっくり顔が見られる』

 嬉しげに顔を綻ばせてそう言った九代目を思い出し、家光は首を傾げた。
「飯はどうした、飯は」
「……ナシになった」
 放り投げるように言葉を落とし、ザンザスはソファの上で身を丸めた。抱え込んだクッションを握りしめる指の関節が、白く色を変えている。
「急な仕事でも入ったのか?」
 尋ねる声に、こくりと頷いて。
「外せない重要な仕事ができたらしい」
「そう、か」
 残念だったな、と呟けば、ザンザスの紅い瞳が一瞬だけ揺らいで家光に向けられた。
「別に。父さんは忙しい方だから、仕方ない」
 どうでもよさげにそう言ってみせるが、仕方ない、という顔ではなかった。
 常日頃、口にも態度にも出しはしないが、ザンザスがたまにしかとれない父親との時間を密かに楽しみにしている事を、家光は知っている。その数少ない食事の機会が、また失われたという事は。いかに賢く大人びた子供であっても、気落ちするのは致し方あるまい。まして今回は、いつもよりも間が空いた。次の機会は少なくともひと月は先になるだろう。三ヶ月近く、まともに顔を合わせない事になる。
 大人にとっての三ヶ月と、子供にとっての三ヶ月。
 それは全く時間の流れ方が違うものだ。
 ザンザスがいつになく気落ちしているのも頷ける。本人は、その感情に気付いていないか、必死に抑えつけようとしているのだろうが。
「九代目、ほんとに楽しみにしてらしたんだぞ?」
「……へぇ」
 忙しい仕事を抱えている事と、良き父親である事を両立するのは難しい。圧倒的に足りない、共有する時間。それを埋めようと足掻いても、結局は足りる事など有り得ない。
 忙しすぎる九代目と不器用すぎるザンザスと。
 愛情を向け合ってはいても、互いにそれが染み込むほどには共に時間を過ごせない、年の離れた二人の親子。

 ―――もう少し、時間が必要なんだろうけどなぁ

 自分もおそらく、綱吉にとっては良い父親とは言えないのだろうと思いつつ、家光は半日分伸びた無精髭をザラリと擦った。
 ごくたまにしか家に帰らない父親と、同じ家にいても滅多に会えない父親。
 子供にとって残酷なのはどちらだろうかと、苦く笑う。
 答えはどちらも、に違いない。
 九代目も、そして自分も、結局のところボンゴレの為に子供達の心を犠牲にしているのだ。きっとそれは『愛している』とどんなに言っても埋まりきらない隙間で。

 ―――スマンなぁ、ツナ

 そしてザンザス、と。心の中だけでそっと謝る。……謝ったからといって、何が変わるわけでもないのは、承知の上だ。それより、今は。
「で、お前昼飯どーした?喰ったのか?」
「喰ってねぇ」
 クッションに埋まりそうになっている唇が、小さく動いて言葉を返す。
 あの広い広い食卓で、ただ独りきりで食べる食事は嫌だったのだろう。その光景を想像して、家光は心のどこかが寒くなる。
 広い部屋、広い食卓。
 並ぶ贅を凝らした料理。
 座る、小さな、ザンザス。

 ―――ダメだ

 今日だけは、それをさせたくなかった。
 この子供がボンゴレの御曹司である以上、そんな食事が可哀想だなどと嘯くつもりはない。そうあるべきであるし、それが当然なのだ。
 けれど、今日は。
 今日だけは。
 執務机から立ち上がり、ザンザスが座り込んでいるソファへと近付く。
 ちろりと目だけ動かして自分を見上げる子供の隣にどかりと腰を降ろせば、家光の重さで沈んだスプリングのせいで、ザンザスの身体が傾いだ。背もたれに腕を回し、てのひらで子供の黒髪をかき回し。
「んだよ」
「オレも昼飯これからなんだけどな。今日は何にしようと思ってるか、当ててみろ」
「知るかよ」
「そう言うなって。あのな、ちょっと遠いんだけどさ、美味いパニーノを出すバールがあってな」
 子供の丸い額を指で弄りながら言葉を続けると、鬱陶しげに手で振り払われる。
「なんつっても、そこのルッコラとプロシュートのパニーノは絶品なんだぞぅ、ザンザス。クアトロフォルマッジオもオススメだ」
「それがどうした」
「ハラ、減ってるだろ?」
「減ってねぇよ」
「嘘つくんじゃないの」
 つんと尖ったザンザスの鼻を指でつまむと、んがっ!と妙な声を出し、子供は両手を振り回す。
「何しやがる家光!」
 喚く子供の拳をてのひらで軽く受け止めて、家光はからりと笑う。
「な、付き合えよザンザス」
「何でオレが」
「いーからいーから」
 な?と顔を覗き込めば、紅い瞳は迷うように瞬いていて。
「……勝手に屋敷抜け出したら、マズい」
 なんと言っても、御曹司だ。外出にも、護衛が幾人も付くのが通常になっている。
 けれどザンザスのその言葉は、一緒に行きたいのだと告げていた。
「うん?怒られる時は、一緒に怒られてやるよ」
 ソファから勢いよく起き上がり、ザンザスの頭をくしゃりと撫でる。見上げる紅い瞳に、家光は片目を眇めて笑いかけ。
「オレが付いてれば、何にも怖い事なんかないだろ?ザンザス」
 迷う子供の手を引いて、ソファから立ち上がらせた。
「怖くなんかねぇよ。舐めてんのか」
「舐めてないぞぅ。それなら、行こうぜ、ザンザス」
 この子供の悲しみや痛みを、肩代わりしてやる事はできないけれど。せめて、しょげた顔をいつもの仏頂面に戻してやりたいと。家光は小さな手を引いて、扉からゆっくりと踏み出した。
 ちらりと後ろを見やれば、紅い瞳が静かな光を宿して自分を見上げているのと出会う。それにふ、と目で笑いかけ。
 自己満足に過ぎないのかもしれない。
 けれど、今日だけは。
 この子供の寂しさを、少しだけでも紛らわせてやれるように。家光は唇の端に笑みを刻んで、ザンザスに視線を流した。
「とびきり美味いパニーノだ。びっくりするなよ?」
 その言葉に、何がおかしいのか子供はぷはっと噴き出して。
「しねぇよ馬鹿!」
 とびきりの笑顔で、悪態をついたのだった。


20/JUN/2007 了



後から九代目にバレて、家光だけすごく怒られるとか、超萌える。
いや、こういうすれ違いもあっただろうなあ、という妄想。
そういう時に、家光が優しくしてくれていたらいいなあ、という妄想。
ちなみにタイトルの意味はイタリアのことわざ?で
「雌猫の毛をむしるために捕まえる」=「手に負えない厄介な仕事を引き受ける」という意味です。



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