御留守番




 録は陶然とした面持ちで、目の前に並べられた料理を見つめていた。
 できたてのクリームシチューは、柔らかな白の中ににんじんやブロッコリー、ピーマンなどが彩りを添え、温かな湯気がいかにも旨そうに揺れている。横の皿に盛られたサラダは瑞々しく、ちょっと見には量が多いようだが、きっと食べればちょうどいいぐらいだ。運動で疲れた身体は、カロリーと共にビタミン・ミネラルも要求している。いかにもパンの似合う取り合わせだが、テーブルには丼いっぱいの白米。そう、練習後の高校球児にはパンよりも飯だ。パンなんていうおやつみたいなものじゃ、腹の足しにもなりはしない。
 ああ、うまそう……。
 この世の春を全て集めたような気持ちで、録は唇を緩ませヘラリと笑う。
「う"わぁ〜、美味しそうングですね"ぇ〜」
 幸せ気分を満喫しようとしていた録の耳に、間延びした声が飛び込んで来た。あえて今まで目を向けないようにしていた右隣で、だらしなく伸びた袖口を大喜びで振り回している奴の発した声だ。

 ――このハナっ垂れ野郎が……

 殺意にも似た感情をどうにか押し殺し、ちゃっかりと無涯の正面に座る席をキープしたその男を横目で睨み付ける。
「冷蔵庫にベーコンが余っていたから、勝手に使わせてもらったぞ」
 大皿に盛られて出て来たのは、ほうれんそうやたまねぎを使った炒めもの。ベーコンがところどころに散っている。ニンニクとトウガラシの匂いが、これ以上ない程に食欲を刺激した。
「さっすが屑桐先輩!超うまそうですよ〜 (^∀^)b」
「しかし白春、本当にクリームシチューなどでよかったのか?」
「グリ"ームジヂューが食べたかったングです」
 ずずずと鼻をすすり上げながら白春が言うのを聞きながら、録は斜め前に座った無涯のエプロン姿をうっとりと眺め回した。料理中に携帯で盗撮した写真は、もちろん今夜から録の携帯の待ち受け画面に決定だ。

 ――ああー、マジ幸せ〜。つか、屑桐先輩のエプロン姿、もう最高〜

 こいつさえここにいなけりゃなぁ……とついでのように考えて、録はもう一度、右隣の男を殺意のこもった目付きで睨み付けてやった。睨まれた当の本人は、全く気付かぬ風で『いただきま"〜す』とニヤついていたけれど。





 そもそも、何故無涯が甲斐甲斐しくクリームシチューなど作っているのかと言えば。事の起こりはこうだ。
「録、今日はうちに泊まるングよ」
 唐突な白春の言葉に一瞬固まった録は、耳にしたそれを練習後の疲れが聞かせた幻聴だと思い込む事にして、いそいそと着替えを続けた。とりあえず鼻歌など歌いながら、ガサガサと学生服をロッカーから取り出す。
「録、今日はうちに泊まりに来るングよ」
 繰り返されたその言葉に今度こそ頬を引きつらせ、録は帽子の下から鋭く白春を睨み付けた。
「何で俺がお前んち行かなきゃならなさ気なわけ?わっけわかんねー (-"-)」
「うちの親、出かけングで俺ひとりで留守番なんだよ"」
「白春ちゃんは高校生にもなって、一人でお留守番できないんでちゅか〜。つか、キモッ ( ̄д ̄)」
「ひとりじゃつまんない"ングよ」
「知るかバーカ。まじウゼッ (`д´)」
「ひどい"ー」
 鼻水をずるずるとすすりながら情けない声でそう訴える白春に構わず、録はさっさと着替えを済ませた。その間も相変わらず、ひどい"ーひどい"ーと呪文のような言葉が繰り返されている。カバンにシャツを詰め込んで、さて帰ろうかと振り向いたところで、無涯としっかりと目が合った。
「……録、どうかしたのか?」
 困惑気味の声でそう尋ねられ、録はブルブルッと首を振る。
「何でもなさ気ですよー。ねー先輩、今日帰りラーメンでも食べて行きませんか? (^_^)」
「だが、白春が……」
「いいんですって、こんなハナっ垂れは放っときましょうよ (^∀^)」
「屑桐先輩、録がひどい"ングですよ」
 録と白春が同時にそう言うのを聞きながら、無涯は困ったように首を傾げた。
 さて、どうしたものか。
 周囲の部員達は既に我関せずといった様子で、三々五々と帰り始めている。手のかかる子供達の世話は、無涯に押し付けられたも同然だ。
「どうしたんだ、白春」
「今日、俺んち親が出かけングだから一緒に留守番してって言っだら"、録にバカって言わ"れました」
「……録」
「ちがっ、だっ、だって先輩!高校生にもなって一人で留守番できないとか言って、バッカじゃなさ気?って思うじゃないですか! (@o@)」
「行ってやってもバチは当たらんだろう」
 腕組みをしてそう言う無涯の瞳には、少しの曇りもない。
「バ、バチって…… (-_-;)」
「そうですよ"ね〜」
 ふたりの声がまた重なる。自分が劣勢になっているのを感じ、録は必死に無涯に取りすがった。
「でも、屑桐先輩ー! (>_<)」
「あ、わかった。録は夕御飯の事が心配ングね」
 さもいい事を思い付いたという表情で、白春は録の顔を覗き込む。ハァ?と問い返す前に、彼は畳み掛けるように言葉を続けた。
「俺も録も料理作れな"い"もんな。ピザかなんかとるか?」
「店屋物をとるのは感心せんな。カロリー過多だし栄養が偏る。お前達はこの年にもなって、料理も作れないのか?」
「作れま"せんー。……じゃあ、先輩、夕飯作りに来てくれま"せんか?」
「うん?まあ、オレは別に構わんぞ」
 何と簡単に事が運ぶのか。
 白春の少し甘ったれたような声に無涯があっさりと頷くのを見ながら、録はぽかんと口を開けたままで冷や汗を垂らしていた。
 これで、見事なまでに退路は断たれた。
 無涯の手料理などという素晴しいエサを目の前にして、録が逃げられるはずもないのだから。自分の性格を知り尽くしている白春を憎々しく思い、彼は敗北感に唇を噛み締めた。
「わ"〜い、俺、クリームシチューが食べたいング〜」
 あー、それ、俺も賛成……と心の中で両手を上げながら。





 そして、今に至る訳である。
 寒い屋外の練習で冷えきった身体には、ほかほかと湯気を立てているシチューが染みるようだ。何よりそれを作ってくれたのが無涯だというだけで、録にとっては食べるのも勿体ないくらいの代物になっている。嬉しさに緩む顔と緊張に震える手に支配され、彼は微妙な状態だ。
「い、いただきます (>_<)」
 スプーンでひとさじすくい、口に運ぶ。気持ちの問題を抜きにしても、美味しい。
「先輩、美味しいですー *>_<*」
「そうか、よかったな」
「はい! (^∀^)」
 湯気の向こうで穏やかに笑う顔に満面の笑みを返し、録は勢いよくシチューを食べる。右隣の男の事は頭から消し去り、ただひたすらに無涯の手料理を味わう事に専念した。

 ――ああ、美味しいなあ〜、幸せってこういう事を言う気だよね、きっと

 ミルクの味のシチュー、にんじん、たまねぎ、ブロッコリー、とり肉、ピーマン……。
 ピーマン?
 はた、とそこでようやく皿の中を泳ぐ緑色の物体に録は気が付いた。ピーマン。見間違いようもなくピーマンだ。苦くて嫌な味のする、あの、例の、恐ろしい、野菜。
「ピーマン…… (*_*)」
「うん?どうかしたか?録」
「い、いえ何でもなさ気です (-_-;)」
 慌てて言葉を取り繕い、録は落ち着かなげに視線を泳がせた。まさか無涯の手料理を残す訳にはいかない。だがしかし。だが、しかし。
「あー、録、ピーマン食べれな"いんだろ」
 呑気かつ、間延びした声がズバリとそう指摘してくる。その声にビクリと身じろぎ、録は嫌な汗をじわりと滲ませた。

 ――てんめぇ〜、俺がピーマン嫌い気な事なんか昔っから知ってんだろ〜

 少し意外そうな顔で無涯が自分を見るのを感じ、彼はパタリと視線を伏せた。
「録、ピーマンが嫌いなのか?」
「い、いえ、そんな…… (^_^;)」
 必死に取り繕いながら、録はさっきスーパーで買い物をした時の事を思い出していた。
 屑桐先輩がカゴを持って、野菜を選んで……。そうだ、俺がそんな買い物姿を盗撮している間に、白春の野郎は先輩の横にぴったりくっついてて超ジャマ気だったんだよ。……あ?そう言えばあいつ、何だかんだ言って先輩にピーマン買わせてたような……。
「白春〜…… (-_-#)」
「何だべ?」
「録。好き嫌いは良くない。ちゃんと野菜も食べろ」
「………………………………はい (TдT)」
 無涯の料理を食べられる幸せと、嫌いなピーマンを食べなければならないショックの板挟みになり、もう録は泣き出す寸前だ。
「そうだぞ、録。高校生にもな"って好き嫌い言ってちゃ大きくなれない"ングよ〜」
 白春の声が妙に嬉しそうなのは、聞き間違いではないだろう。

 ――ハメられたー

 悔し涙をこらえつつ、録はしぶしぶとピーマンを口に運んだ。ウェーと思いながらも、それは顔に出さないように細心の注意を払う。せっかく無涯が作ってくれたものにそんな顔をするなんて、誰が許そうとも録自身が許せない。
「大丈夫です!ほら、食べれる気じゃないですか、先輩! (T∀T)b」
「……うむ、ならばいいが……。好き嫌いは無くすようにしろよ、録」
「はい! (T∀T)」
 量にすれば本当に少しのピーマンを必死になって食べながら、録はちらりと右隣を見る。
 袖口で鼻を拭きながら、録の視線に気付いた白春はニヤリと嫌な笑いを浮かべた。しっかりと袖で隠して、無涯からは見えない角度だ。

 ――こ、このハナっ垂れ……バーカバーカ!死ねバーカ!

 あまりにも性格の悪い白春に心の中だけで悪態をつき、録は涙目のままにピーマンを食べ続けた。テーブルの向こうで無涯が少し心配そうな顔をしてくれるのが、たったひとつの心の救いだ。
「録、ちゃんと食べるングよ"〜」
 後回しにしていたサラダにもピーマンが入っている事に、数分後ようやく録は気付く事になるのだが、それはそれでまた別のお話だ。







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