彷徨える熱夢



 うだるような暑さに、ベックマンは立ち上がる気力もなく木陰に伏した。
 この、さして大きくない……けれど探検するには充分な広さを備えた夏島に赤髪海賊団が逗留してから、既に半月が経とうとしていた。大頭のシャンクスは御満悦の様で、毎日毎日島内をうろつき回っては、変わった色の鳥や見慣れぬ植物を抱えて戻ってくる。上機嫌で差し出されたそんな戦利品の数々を思い出し、男は薄く唇の端で笑った。

 ――ったく、いつまでたっても子供のまんまだ……あの人は

 率いる海賊団をここまで大きくし、戦闘になれば鬼神のごとく、船員達には神のように崇められ兄のように慕われている。そんな彼が普段見せる顔は、まるで子供のようだ。
 好奇心と冒険心と、邪気の無い大らかさ。
 年齢を重ねるごとに剥がれ落ちて然るべきそんな性質を、未だ変わらずに持ち続けている。だからこそ、これだけの海賊達を束ね、自らが常に先頭に立って冒険に繰り出せるのだろう。

 ――普通は、子供のまんまだとただの馬鹿になっちまうんだがな

 暑さに蕩けた頭で、埒もなくベックマンは赤い髪をした大きな子供の事を思った。
 ただの馬鹿ではない、素晴しい大馬鹿者の事を。
「ふ〜く、ちゃんっ!」
 ベックマンの寝そべっていた後ろの茂みから、騒がしい声が唐突に降り注いだ。この夏島の灼熱の太陽のように、明るく強い声音。
 ガサリと音を立てて茂みから飛び出し、シャンクスは両手に抱えた果物を見せびらかす。子供が褒めてもらいたがる時のような顔付きだ。
「ほら、こんなもん見つけたぜ。すっげえ甘くてうめぇからさ、お前にも食べさせたくて」
 艶やかに赤い果実は、よく熟れている証拠に甘くふくよかな香りをふりまいている。
「またあんたは、安全かどうかわからんものを口に入れたのか……」
 言っても無駄な事は承知の上で、ベックマンは物憂くそう呟いた。地面に寝そべったままで見上げると、シャンクスの顔がにやりと笑いを浮かべる。
「心配すんなって。そんなもん、食べてみりゃわかるんだからよ」
「……ったく、あんたって人は……」
 食べてみればわかる、その通りだ。今までにシャンクスが、得体の知れぬものを口に入れて船医の世話になった事は、両手で数えてもまだ足りぬ程。懲りるという言葉を知らぬ男の物言いに呆れ、ベックマンはひとつ溜息をついた。
「辛気くさい顔すんなって。ほら、喰ってみろよ」
「食欲がない」
「ええーっ、何でこんなうまそうなものを前に、そういう事言えるわけ?!」
 絶望的な叫びを聞きながら、ベックマンの口元がかすかに緩んだ。
 この暑さの中、何故そんなにも元気なのか。
 口に出して聞くのも億劫で、寝そべったままの姿で男は瞳を閉じる。
「……ベック、お前もしかして具合悪ぃの?」
「この暑さでも元気いっぱいなのは、あんたとルゥくらいのもんだ」
「んな事ねーじゃん。皆、泳いだり探検したりしてるぜ」
 そんな事より、とシャンクスは男の側にしゃがみ込む。抱えていた果物を土の上に転がし、ベックマンの頬に手を当てた。
「なんかすんげー熱いけど……気温のせいじゃねぇよな?」
「わからん」
「ど、どーしよう。お前が具合悪いなんて信じらんねぇ」
 狼狽してあたふたと周囲を見回すシャンクスに苦笑し、男はその手を静かにつかんだ。
「心配いらん。今朝まではなんともなかったんだ。ただ少し……暑さにやられたんだろう」
 らしくもない、と己を笑い、ベックマンはつかんだ手を引き寄せる。自分の体調の事はわかっていた。おそらくは軽い熱中症だ。働かない船長の代わりに、船の雑事の一切を取り仕切っていれば、暑さのせいで体調も崩す。
「で、でもよ、もしなんか大変な病気とかだったらどうすんだよ!」
 今にも船医のところへ引きずって行きかねないシャンクスに、男は小さく苦笑してみせた。
「この症状ならば、そんな事はないだろう。……つまらん事で、船医の手を煩わせたくない」
 奴も疲れが溜まってるんだと呟いて、ベックマンは再び静かに両目を閉じた。この場所は、穏やかな風が通り心地よい。水分をとり、ここで喉や腕を冷やしていれば、そのうちに熱は引くだろう。
 背の高い木の陰で横たわるベックマンを見つめ、シャンクスは鼻息荒く立ち上がった。
「よ、よーし待ってろ!このオレ様が何とかしてやる!」
「おい……何をする気だ、お頭」
「いいからてめぇは黙って横になってろ」
 その言葉を言うが早いか、赤い髪を翻してシャンクスは再び茂みの向こう、密林の中へと走り去って行った。

 ――あんたが大人しくしててくれるのが、一番俺の為にはなるんだが……

 見る間に小さくなって行く後ろ姿を見送り、男は半ば呆然と胸の内でそう呟いた。




「……だいじょぶ?」
 遠慮がちな小さな声に覚醒し、ベックマンはそこでようやく自分が寝ていた事に気が付いた。さほど時間は経っていないようで、空を見上げれば太陽の位置はほとんど動いていない。視線を動かすと、そこにはじっと己を覗き込むシャンクスの姿。
「ああ、大丈夫だ。あんたこそ、何だ?その格好は」
 安心させるように微笑んでみせ、続いてキュっと眉を寄せる。シャンクスが薄汚れた格好をしているのはいつもの事だが、先程走り出して行った時の倍ほども服が汚れ、全身が小汚い。放っておけば海に入って洗い流すという荒技を使うであろう彼を思い、ベックマンは我知らず溜息をついた。
「え、いや、その……それよか、ベック。これ飲めよ」
 いささか大きい固そうな木の実を差し出し、男は満面に笑みを浮かべる。
「食欲なくても、水分はとれるだろ?」
 腰に差していたナイフと足を器用に使い、シャンクスはその実をまっぷたつに割ってみせた。中から、かすかに濁った液体が零れ落ちる。
「これは……」
「栄養あんだって。ヤソップが言ってた」
 普段はどうしようもない不器用もののくせに、こんな時ばかりはテキパキと作業をこなし、男は赤い髪を揺らしてベックマンの顔を見つめた。一本だけの右腕を伸ばし、そっと額に触れる。
「……さっきよか、少し熱くねーかも」
「そうだな、少し楽になった」
「良かった。……飲めるか?」
 ほう、と安堵の息をついてシャンクスがそう問いかける。その視線から、彼が本当に自分を案じている事を感じ取り、ベックマンは不思議な気持ちになった。思えば、いつだって心配や世話は自分の役目で、シャンクスにこんな風に心配をかけた事など数える程だ。今までは具合が悪くとも、極力それを彼の目には触れさせないように気を付けてきたし、そもそも心配をかける種がベックマンにはほとんどない。
「ああ、飲める」
 そう呟いて起き上がり、男はふたつに割れた木の実に唇をつけて甘い汁をすすった。意識はしていなかったが、身体中が乾いていたのだろう。その甘さが隅々まで染み渡る。
「うまい?」
「ああ、うまい」
 じゃあこれも飲め!と残りの半分を手渡され、わずかにひるんだベックマンだったが、期待に満ちた瞳を前に断る事もできずに言われるがままにそれを飲み干す。過ぎた甘さは、少しだけ舌に苦しかった。
「あとはオレ、何すればいい?」
「……何もしないでくれ」
「そーんな、遠慮すんなって!たまに具合悪い時くらい、オレ様に甘えてみせろってーの」
 いつものようにきししと笑ったその顔は、屈託なく輝いている。ベックマンが多少元気そうになった事で、安心したのだろう。
「ほら、して欲しい事言いなって。ベックマンちゃん」
「……じゃあ」
「うん?」

 ――熱のせいだ。

 そう心の中で言い訳し、常ならば決して口にしないような言葉を男は紡ぐ。
「じゃあ、ここに居てくれ」
 横になり、入道雲が流れる空を眺めながら、ベックマンはかすれた声でそう囁いた。頬が熱いのも、こんな馬鹿馬鹿しい台詞を口走るのも、全て熱のせいだ。
「……」
「クソ……」
 意外そうに黙り込んでしまったシャンクスを見る事もできず、男は小さくそう呟く。
 柄にもない。それは自分でも重々承知の上でのセリフではあったのに。そんな反応を返されては、どうする事もできない。
「バッカだなぁ、ベック」
 子供に言うように優しい声が、頭上から柔らかに降ってくる。見上げれば、シャンクスも照れくさげにヒゲを掻いていた。
「居るに決まってんじゃねぇか、いつだって」
 黒々としたベックマンの髪をくしゃりと撫でて、彼はその額に小さく接吻を落とした。愛しくてならぬと言いたげに。
「……クソ」
「うん?」
「一生の不覚だ」
 心の底から悔しげなその声にシャンクスは大笑いし、いいじゃねぇかとベックマンの髪を撫で続けた。ベックマンの胸に、漠然とした幸福感を沸き上がらせながら。



 素敵に愛しい大馬鹿者の看病の甲斐あってか、ベックマンの熱は夜にはすっかり下がっていた。だがしかし、交替でシャンクスが得体の知れぬ熱病にかかり、赤髪海賊団が上を下への大騒ぎになったのだ。苦労症の副船長が心休まる時はないと、この船ではどうやらそう決まっているらしい。






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