A stickey bruise





 手にした赤い果実を一口齧り、シャンクスはぼんやりと青空を眺めた。
 どこまでも続く、青い青い空。ぽかりと浮かぶ雲。
 甲板を渡って行く風に髪を嬲られて、三本傷の入った瞼を閉じる。海で見る空は、いつだって心地良くシャンクスの胸をざわめかせた。
 走る雲の様子、渡る風の匂い、飛ぶ鳥の一羽にいたるまでがシャンクスに語りかけてくる。胸の高鳴りはそのせいだ。この先に、お前のまだ見ぬものがあると。知らぬ人々がいると。だからこそシャンクスは未知への期待にただ胸膨らませ、ひたすらに遠くへと船を出すのだ。
 甲板に転がる木箱の上にごろりと身体を伸ばし、赤髪海賊団の大頭は欠伸をひとつしてみせた。潮風にさらされた肌が、灼熱の太陽で焦がされる。だらしなく羽織っていたシャツの隙間から覗く胸板に、じりじりと太陽の熱を感じて痛い程だった。
 だらりと横になったまま、汁気の多い果実にまた口をつける。赤く柔らかな果肉の味が、甘く口内に広がった。さして大きくもないその実を全部平らげて、汁でべたべたになった手をそのままシャツで拭いた。後でまた副船長にお小言をもらう羽目になるだろうが、今はそんな事、知った事ではない。
 腹も満たされ、シャンクスは寝転がった姿勢のまま、ぐるりと首を巡らせた。甲板の上、どこかで忙しく立ち働いている筈の副船長を目で探す。
「働き者の〜副ちゃんは〜♪」
 即興で作った謎の歌を口ずさみながら、船首の方へと首を巡らせると、何人かの下っ端に指示を出しているらしい副船長の姿。この海賊団において、大頭がどんなにだらけていても船員の規律が乱れないのは、常にこの副船長が指示を出して全体をうまく管理しているからだった。このところ髭を生やして一層貫禄が増した感のあるその姿を、満腹で眠くなった目でぼんやりと追う。
「副ちゃん発見」
 ぼそりと呟き、けれどシャンクスは何をするでもなく、ただ半分眠った目で副船長を眺めている。やがて安心したようにまどろみ始めた途端、シャンクスの瞼に影がさした。
 
「お頭、寝てるのか?」
 
 頭上から降り注ぐ声は聞き慣れた副船長のもの。瞼を開けず、シャンクスはむにゃむにゃと口の中で答えた。
「寝てるー」
「あんた、寝るのは構わねえが、腹を出したままで寝るな。いくら暑いからって、それでいつも風邪をひくんだろうが」
 言いながらシャツの釦をかけようとし、副船長の手が止まる。白いシャツに染み込んだ赤い果汁を見つけたからだ。
「……汚れた手をシャツで拭くな」
 何度言えばわかってくれるのか、と半ば絶望的な気持ちで副船長が言うと、果汁でべたべたしたままの手がぺたり、と触れて来た。
「手も顔もべたべたじゃねえか……もういい歳なんだから、どうにかならねえのか、あんたって人は」
「ならねぇなあ〜」
 その返事に溜息をつき、副船長は自分が羽織っていたシャツをシャンクスの頭の上にぱさりとかけた。
「この炎天下で昼寝じゃ、熱射病になりかねねぇ。これでもかけて寝るこった」
 それと、腹を冷やすなよ。
 存外に優しい声で心配だけをして、副船長が立ち去ろうとすると。
「ちょいと副ちゃん、お待ちなさいな〜」
 シャツの下から目だけを覗かせ、シャンクスが呼び止める。ちょいちょい、と招く指先に首を傾げると、シャツから顔を全部出し、蛸のように唇を突き出してくる。
「……もう頭がやられたか?」
「そーいう冷てぇ物言いをするもんじゃねぇだろ〜。おやすみチュッチュしてくれよ〜」
 三十代半ばの髭面の男がチュッチュもクソもあるものか、と思った事は口に出さず、副船長は苦々しく腕を組んだ。甲板の上で、他の船員も見ているのに……とか、大頭のそんなところを下っ端に見せるのは、なんて言葉がシャンクスに通じないのは長い付き合いで解っている事だ。大柄なその身体を屈め、副船長は木箱の上で寝そべるシャンクスに接吻をした。触れた唇が果実の味で甘ったるく、副船長は顔をしかめた。
「おやすみ〜、副ちゃん」
 接吻を与えられて満足したのか、一本だけの腕をひらひらと振り、シャンクスは欠伸を連発する。それを尻目に、副船長もやれやれ、と仕事に戻って行った。その後ろ姿を細めた瞳で見送り、男はどこか醒めた頭で考えていた。
 
 副船長は、一体何を考えているのだろうかと。あの頭の中身が見たい。思う事が知りたい。
 長い時間を共に過ごして来て、馴れ合った関係だというのに、副船長は少しもシャンクスに甘えようとはしない。甘えて、我が侭を言っているのは常にシャンクスの側だ。もう少し、頼られてもいいんじゃないかとシャンクスは思う。
 戦闘の技量が上なのは当然ながらシャンクスの方だ。それだけは自負している。何者からであろうと副船長を守り抜く覚悟だって、出会った時からできていた。けれどそれとは違う部分で副船長に依存し切っている自覚がシャンクスにはあった。
「だってぇのに、いつまで経っても…なんかつれねぇなあ、あの男は」
 大切にされ、優しくされているとは思うが、滅多に感情を覗かせない男は腹の底が見えない。与えるだけ与えて、受け取ろうとしない男。それが何か哀しくて、シャンクスは眉を寄せて苦笑した。
 こんな風に好きで仕方ないのは自分一人なのかと思い、切なさに笑うしかない。この歳にもなって、こんな事で頭を悩ませるとは夢にも思っていなかった。うまくいっているようでうまくいかない自分達の関係に溜息をつき、シャンクスはかけられた副船長のシャツを握り締めていた。
 
 黒髪の男の姿を持った甘く苦い果実は、決してシャンクスの腹を満たしてはくれない。飽きる事もなくそれを貪り続ける自分を思い……シャンクスはひっそりと笑った。いつかべたつく果汁だけを残し、食べ終わる日が来るのだろうかと、そんな事を考えながら。





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