てのひらの花





 ドサリ、と隣のシートが乱暴に揺れた。
 窓際の席に座り外を眺めていた無涯は、ちらりとそちらに目を移す。まだ他にもたくさん席は空いているのだから、そちらに座ればいいものを。わざわざ二人掛けのシートで自分の隣に座りに来るとはどんな奴だ。
「……御柳」
「あっれ、屑桐先輩。偶然ッスね〜」
「そうだな」
 白々しい芭唐のセリフを疑いもせず本当に驚きながら、無涯は横に座った後輩に返事を返す。
「お前は、このバスの沿線に住んでいるのか?」
「や、違うッスよ」
「……?何か、用事があるのか?」
「ええまーちょっと」
「そうか」
 満足したように頷いて、無涯はまた窓の外に目をやった。車高の高いバスの窓から眺める景色が、彼は案外と好きだ。
 部活も自主練習もできない、試験期間。
 せめて最終日くらいは練習をさせてくれてもいいものを。そう、思うともなしに思いながら、過ぎて行く景色をぼんやりと眺める。
 いつものようにきっちりと背筋を伸ばし、シートにもたれかかる事もなく。
「ねー屑桐先輩」
「ん?何だ?」
「ガムいります?」
「いや、いらん」
「そーッスか」
 返された答えに肩をすくめ、芭唐は新しいガムを口に放り込む。
 甘ったるい匂い。溶け出す砂糖の味。
 何かの代償のように、それがないと芭唐は落ち着かない。四六時中口を動かし、その甘さを味わっていないとどうにもやり切れないのだ。軽い依存症のようなものだろう。

 ――あと、今は屑桐さんがいねーとやってらんねーし

 ちら、と横目で無表情な横顔を見やり、芭唐は小さな溜息をつく。ガムはポケットに入れて持ち運べるけれど、無涯はポケットにはどうやっても入り切らない。しかも、側にいて欲しいと言ったところで、おとなしく側にいてくれるような相手ではない。
 あーあ、と今度は声に出して溜息ついてみせた。
 足を投げ出すように座り、だらしなくシートにもたれかかる。車内のアナウンスが、次の停留所の名を告げた。
「どうかしたのか?御柳」
「えー、何がっスか〜」
「溜息などついて」
「寂しん坊なんスー、オレ」
「……?」
 よくわからん、と表情だけで語り、無涯は再び窓の外へと目をやった。
 その横顔を眺めて、芭唐は今度は胸の中だけで溜息をついた。
 今日は、試験期間の最終日。部活もないこんな日は、無涯を誘ってどこかへ遊びに行こうと思っていたのだ。勝手に脳内計画を練り上げていたが、試験が終わってまっすぐ向かった三年生のクラスには、既に無涯の姿はなく。とりあえず他の三年生に聞きまくってみたら、選択授業の試験で、無涯はさっさとテストを終わらせて、ついさっき帰ってしまったという事だった。
 大慌てで学校周辺を捜しまわってみれば、呑気にバスに乗っている無涯を発見した訳で。

 ――なんつーか、ほんと、愛の力ってこーゆー事?

 ドアが閉まるギリギリで、息せき切ってバスに駆け込んだ芭唐は、自分を褒めて褒めて褒めちぎってやりたい気持ちでいっぱいになった。むしろ、無涯に褒めて欲しいくらいの勢いで。

 ――褒めてくれるわけねーけど。つーか、オレが乗って来たのすら、マジで偶然だと思ってるしな

 横に座って静かに車窓を眺めている無涯を鑑賞しながら、芭唐はガムをふくらませた。
 膝に置いた荷物の上にきちんと揃えて置かれた無涯の両手に、何とはなしに手を伸ばす。ゴツゴツとして荒れているその左手をとり、自分の右手で包んでみた。
「……何をしている」
「手ぇ繋いでます」
「何のつもりだ?」
「えーっとー……えーと、バス酔いしそうで不安なんで、先輩に手ぇ繋いでて欲しいんスけど〜」
 苦し紛れの言い訳をしながら上目遣いで無涯の顔を覗き込めば、彼の目元がわずかに緩んだ。仕方ないなと言いたげな、柔らかな表情。
「全く……子供か?お前は」
「まだ高一なんでー」
「仕方のない奴だ」
 具合が悪くなったらすぐに言え、と存外に優しい声音で告げ、無涯はまた窓の外に目をやってしまった。左手だけは、芭唐に与えたままで。

 ――こんなアホなウソまで信じてくれちゃうんだもんなー

 握り締めた手は、つぶれたマメと擦りむけた皮でガサガサに荒れている。けれどそれを自分の手で包んでいるだけで幸せな気分が胸に満ち、芭唐は緩む頬を自分ではどうにもできなかった。
 手の中の、乾いた温もりだけが全てだ。
 愛しく大切な相手の体温を、身体のどこかで感じているという事。
 たったそれだけの事が、こんなにも気持を和ませる。

 ――あー、オレ、ほんっとにやられちゃってんなー、この人に

 身体に染み渡る幸福感を噛み締めながら、ぎゅ、と握った手に力を込める。すると無涯も軽く握り返してくる。心臓が跳ね上がるほど嬉しくて、芭唐はにやにやとだらしなく顔を緩ませた。
「へへへ……あ、ねー先輩。どこで降りるんスか?」
「終点だ」
「でも住んでんのって、全然違う方面っしょー?」
「そうだが……何故知っている?」
「まーそれはいいじゃねーッスか。どこ行くんスか?」
「ああ、図書館だ」
「はあっ?!」
 トショカン?
 まただ。無涯と話していると、必ず謎の単語が飛び出してくる。芭唐は驚いた拍子に割れたフーセンを慌てて口の中にしまい、まじまじと無涯の顔を見つめた。
 図書館?
「借りていた本を返しに行くんだ。面白かったぞ、お前も読んでみるか?」
 繋いでいない方の片手だけで器用にカバンから出して来た本は、何やら野球選手の自叙伝らしい。全く興味のない芭唐は、はあと気のない返事をしただけだった。それよりも気になるのは、チラリと見えたカバンの中に、折り紙と共に『新しいおりがみ〜折り方百選〜』というタイトルの本があった事だ。

 ――この人、まだ新しい折り方とか覚えるつもりかよー

 無涯は、一度折り紙を始めたら、気が済むまで決してやめない。しかも、その間、側でどんなに芭唐が話しかけようとも無視し続けるのだ。いや、わざと無視している訳でなく、本当に気付いていないだけなのだが。
「それで、お前はどこまで行くんだ?」
「……へ?」
「何か用事があったんだろう?」
「あ、あー……」
 そう言えば、そんな口からでまかせを言った記憶がある。
「やー、大した用事じゃなかったんで。このまま屑桐さんに付いてっちゃおうかなー」
「オレは別に構わんが。バス酔いは平気なのか?」
 終点までだぞ、と少し心配げな声で返し、無涯は握られたままの左手に力を入れた。
「んー、屑桐さんがちゃんと手ぇ繋いでてくれれば平気……かも?」
「わかった、安心しろ」
 任せておけと言いたげに唇を引き結び、無涯がしっかりと頷く。それを見ながら、芭唐は唇を綻ばせた。
 手の中の優しい温もり。
 穏やかなそれは、ただそこにあるだけで芭唐を癒し、幸せにしてくれる。
 例え気持ちが全く通じていないとしても、その温もりがここにある事は事実なわけで。
「ねー先輩。オレ、すげー幸せなんスけど」
「……?そうか、良かったな」
 小さく首を傾げる無涯の顔を眺めながら、にやにやと笑って握り締めた手に力を込めた。
 終点は、まだまだ先だ。



サラっと読めるお話を目指してみた。
いつもの芭無だと殺伐煮詰まり系なので、たまには息抜き。
うちのバカラんは乙女ちゃんだなー。
でも、繋げる手があるという事はすごく大事だと思う。


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