はらり。
 無涯の髪に舞い落ちた紅葉を指先でそっと払い、芭唐はうっすらと唇の端を吊り上げた。漆黒の髪に燃えるような紅葉の色は、恐ろしい程に良く似合う。無涯自身が身の内に飼っている炎にも似て、静謐でありながらどこまでも熱く……けれど凍える程に、冷たい。
 その炎に触れたい、焼かれたいと願い続ける己を嘲笑いながら、芭唐はどこかうっとりと吐息を洩らす。
 或いは既に焼き尽くされているのかも知れないと。
 蝋燭の炎に惹かれて焼け死ぬ虫けらのように、己が身が炭と成り果てている事にすら気付かずに、ただ炎を夢見ているだけなのかも知れない。
 足元に散った紅葉が靴の下、乾いた音を立てる。
「ね、屑桐さん。綺麗っしょ?」
「……そうだな」
 視界を埋め尽くすように舞い散るのは、燃えるような紅葉だ。
 普段の通学路を少し外れただけでこんなに綺麗な場所がある事など、無涯は今まで気付きもしなかった。否、気付く余裕などなかったのだ。朝から晩まで、ただひたすらに野球のみを見つめて来たのだから。
「とても……綺麗だ」
「ねー。絶対あんた、こーゆーの好きだと思ってさ」
「ああ」
 通る者すらいないこの場所は、酷く静かで美しい。吹き抜けていく乾いた風に目を細め、無涯はつと芭唐へと視線を戻した。
「良い場所を知っているな、御柳。連れて来てもらって良かった。礼を言う」
「や、そんな……」
 まっすぐに向けられた瞳に口ごもり、芭唐の頬がかすかに染まる。気恥ずかしさに視線を反らせば、不思議そうな面持ちの無涯が小さく首を傾げた。
「どうかしたのか、御柳」
「な、んでもねーっスよ」
「む……そうか」
 常と変わらぬ生真面目な様子で、無涯は再び赤々と燃え盛る紅葉へと瞳を戻す。凛と伸びたその背筋を見つめる芭唐の心中など、何も知らぬげに。

 ――なんかさ、別にさあ、そんなつもりで連れて来たわけじゃねーけどさー

「……礼ってんなら、何か下せーや、屑桐さん」
「む……何が」
 いいのだ、と皆までは言わせず、芭唐の腕は年上の男を木の幹へと押し付けていた。無涯の外套に、紅い葉が幾つも舞い落ちては、乾いたかすかな音を立てている。
「……何のつもりだ、御柳」
「礼の一つももらうつもりなんスよ」
「この……痴れ者が」
 先程までの和やかさとは打って変わり、無涯の瞳が剣呑な光を帯びている。それに気付き、芭唐はまたひとつ、うっとりと吐息を洩らした。この強い光に、奥に潜む炎に、惹き付けられて止まない。
「時と場所を考えろ、馬鹿者」
「それって、時と場所を選べば何してもいーって事ッスかね?」
「誰もそんな事は言っておらん」
「じゃー、時と場所選んだってイミねーじゃねースか」
「……ピーピーと喧しくさえずるな。いい加減にこの手を離せ」
 射殺しそうなその瞳にさえも煽られるようで、芭唐の唇はゆるりと緩んだ。

 ――この人の怒った顔って、サイコー。怖いけど、すげぇそそる

 何も、本気でどうこうするつもりではなかった。あわよくば、接吻のひとつも奪えれば良いと思っていただけで。ただ、この美しい景色を見せてやりたかっただけだ。鮮やかな紅葉を、共に見たいと願った。ただそれだけ。
 けれど。

 ――こんな風に本気で怒られると……ちょっとさー傷付くじゃん

 もしも相手が自分でなければ、怒らなかったのではないか、などと。
 下らぬ考えが浮かんでしまう。
「離したくねーんですけど」
「離せ」
 つまらぬ押し問答は、無涯の実力行使であっさりと幕を下ろした。四番打者と言えども、エースの強肩にかかってはひとたまりもない。突き倒される勢いで芭唐の身体が離される。
 外套の裾をひとつ払い、無涯はきつい眼差しで目の前の後輩を睨め付けた。
「……まったく貴様は」
「そんな怒んないで下さいよ。ちょっとからかっただけじゃねースか」
「からかいで毎度毎度こんな事をされる身にもなってみろ。不愉快だ」
 木に押し付けられた拍子に落ちた学帽を拾い上げ、それも片手でほこりを払う。ほこりと共に溜息を落とし、無涯は静かに芭唐へと向き直った。
「こんな馬鹿な真似をしなければ、何かで礼をしても良かったものを。……馬鹿者が」
 たしなめるようなその口調にわずかに眉を寄せ、芭唐は小さく口を開いた。最早自分でも止める術すらなく、唇からは言葉が滑り落ちて行く。
「あんたの炎に触れたいんスよ」
「……何だと?」
「あんたの心を下せーや。オレが欲しいのは、それだけなんだ」
 心が欲しいと呟いて、彼は泣き出す寸前のような胸の熱さに唇を噛んだ。
 ふたりの間を、風に散る紅葉が赤々と舞い踊っていく。
 炎のようなその鮮やかさに息を飲み、芭唐は己の外套を握り締めた。触れる事のできない無涯の炎をただ見つめる事しかできない己が腑甲斐なく、何よりも、切ない。
 幾度、想いを言葉にして来た事だろう。言葉を返してもらう事すらできないのなら、いっそ言葉などなくなってしまえば良いのだと、そんな事すら考える。
 風に舞う紅葉の向こう、表情を読み取る事のできない無涯の顔が静かにこちらを見つめている。常と変わらぬ、凛とした佇まいのままに。
 暮れた陽は、沈み込むように周囲を薄闇に染め上げつつあった。
 薄く墨を溶かした空気の中、紅葉だけが、ただ、紅い。
 無涯の瞳に良く似たその色の渦の中、芭唐は胸の痛みをどうする事もできずにただ呆然と立ち尽くしていた。肋の下を鈍く鋭く突き刺していく痛みは、最早馴染んで久しいものだ。その痛みに身を任せながら、彼はただひたすらに、無涯だけを見つめ続けていた。
 心が欲しい、あんたの炎に焼かれたいのだと。
 ただそれだけを祈るように。






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