「……おい、リーマス」
「……」
「なあ、リーマスって」
己を揺り起こそうと必死なその声を遠くに聞き、リーマスは低くうなり声をもらした。心地よい眠りを妨害されるのは、はっきり言って御勘弁願いたい。
「……うるさいよ」
「やっと起きたかよー。なあなあ、あのな……」
「うるさいってば。寝かせてよ、ほんとに……」
心底嬉しそうに何事かを言ってくるシリウスに、寝起き特有の機嫌の悪さで対応し、リーマスは頭から毛布をかぶり直した。未だ外は真っ暗闇の真夜中だ。何を好き好んで、こんな時間にシリウスの相手をしなければならないのかと、心の中で小さく悪態をつく。
「寝るなって、俺の話聞けってば、リーマス」
ムキになって毛布を引き剥がそうとする友に、リーマスは更に鋭い一瞥をくれた。
「何」
「腹減った」
「……」
馬っ鹿じゃないの?と目付きだけで語り、彼は小さく鼻を鳴らした。
四年生。
確かに、自分達は一日中腹を空かせて走り回っているような年頃だ。だがしかし。だからと言って、真夜中に良く眠っている友人を叩き起こす理由になり得るものか?いや、なるわけがない。
そこまで考え、リーマスはひとりで頷き瞳を閉じた。柔らかく暖かな寝具が、彼を優しく迎え入れる。
「リーマスー」
「うるっさいねぇ、君。そこの箱にお菓子が入ってるから、食べていいよ。その代わり、後でちゃんと返してよね」
「菓子じゃ腹はいっぱいにならねぇんだよー」
情けない声と共に、更に情けない腹の音が鳴り響く。
「厨房に行きたいわけ?」
「御名答!」
「ジェームズに付き合ってもらえば?」
リーマスが隣のベッドを指差すと、途端、シリウスは震え上がった。
「冗談!あいつ、今日クィディッチの練習があって疲れてんだよ。今起こしたら、俺、絶対殺される」
「……へーえ」
ずいぶんとしつけが行き届いてるじゃないか。心の中だけで揶揄するようにそう呟き、リーマスはようやくベッドに起き上がり、目の前の腹っ減らしを見据えた。
「ったく、目が覚めちゃったじゃないか。仕方ない、付き合うよ」
「やったね!さすがはリーマス」
「おだてたって何も出ないよ」
寝巻きの上に申し訳程度にガウンを羽織り、ひとつ大きく伸びをして彼はちらりとシリウスを眺めた。黒い髪を嬉しげに揺らして、シリウスはジェームズの荷物をあさっている。
「……何してんの?」
「透明マント。これがなかったら、厨房に辿り着く前にフィルチの拷問部屋行きだぜ」
胸を張ってそう言うシリウスを上から下まで眺め回し、リーマスは小さな溜息をついた。いくらなんでも、ジェームズのものを勝手に引っ張り出すなんて良くないよ。そう告げたところで、この男が聞く耳を持つ訳ない事はわかりきっている。大人しく透明マントを頭からすっぽりとかぶり、リーマスはもうひとつ溜息をついた。
息を潜めて部屋を抜け出し、談話室を通り過ぎ。太った貴婦人に嫌な顔をされながら、廊下へと滑り出す。静まり返った古い城は、真夜中の探検を幾度繰り返しても、彼らの胸にじわりと恐怖を沸き上がらせて止まない。同時に好奇心も刺激され、いつだって城内の探検は、彼らにとって最高の娯楽だ。
「こっちだ、リーマス」
「何言ってんの?厨房への道はこっちでしょ」
「俺、この間新しいルート見つけたんだよ。近道だからこっちから行こうぜ」
有無を言わさぬ勢いで、シリウスが古い扉に手をかける。ノブの下、錠前の部分を柔らかく撫でると、溜息のような音を立てて古い扉が向こう側に開いた。石造りの床が湿った音を響かせる廊下をしばらく歩くと、三つの扉がひっそりと現れる。右端の扉を三、二、六と音を分けてノックしてから開けると、そこにはもうひとつ、どっしりと大きな扉があった。
「……あれ?」
「シリウス。何が『あれ?』なんだか教えてくれるかな?」
「いや、おっかしいな……。この前はこれで、厨房の入り口に出たんだぜ」
しきりに首を傾げるシリウスの間抜け面を横目に、どこからどう突っ込んだらいいものかとリーマスは頭を抱えた。下手に見た目が良いだけに、間の抜けた顔をするとどこまでも頭が悪そうに見えるのが、この男の欠点だ。
「ねえ、このルート、ジェームズは知ってるの?」
「知らねえよ。この俺がひとりで見つけたんだからな!」
また無駄に胸を張るその姿に、がっくりと肩を落とす。
「そういうのはさあ、ジェームズにチェックしてもらってから使おうよ」
「あっ!お前、俺を信用してないな?」
ふたりのつまらぬ言い争いをよそに、大きな扉が音も無く開く。
こちらへ来いと、誘うように。
滑るようにその口を開いた扉は、その向こうから生温い風を運び込み、透明マントをわずかに揺らす。
「……どこだ、これ」
「わからない。見た事がない……気がするけど」
心許なげにリーマスが囁きを返す。この城の中は迷路のように入り組んでいて、未だ見た事のない場所はいくらもあった。時間によって現れる部屋。開ける度に出る場所が変わる扉。
「行ってみようぜ、リーマス」
「シリウス!」
リーマスが声を殺して叱責するのも聞かず、シリウスは扉の外へ出ようと足を踏み出した。生温い風は、まとわりつくようにマントの周囲を覆う。どこか息苦しいようなカビ臭いその空気を嗅ぎ、リーマスはかすかに身を強張らせた。
――ダメだ
この先に、足を進めるべきではないと。そう、彼の中の何かが告げている。
「ダメだ、シリウス。帰ろう」
「何だよ、せっかくここまで来たんだぜ。大丈夫、誰にも見つかりゃしないさ」
俺達には、これがあるだろ?悪戯げに片目をつぶってみせ、シリウスはかぶった透明マントをつまんだ。自信満々の表情で、未知の場所への期待に胸踊らせているのがありありとわかる。
「シ……」
「いいから行こうぜ、リーマス。お前ひとりで、マントなしで帰る気か?」
「……」
「来いってば」
ぐい、と腕を組まれ、それを振払ってまでひとりで帰る訳にはいかなくなった。どちらにしろ、透明マントなしで寮まで帰る事自体が自殺行為に等しい。リーマスは重苦しい気持ちのまま、シリウスに引きずられるように扉の外へ出た。
厨房へ行くという当初の目的を忘れ果てたシリウスは、興味深げに周囲の光景を見回している。狭い石造りの廊下は薄暗く、じめじめと空気を湿らせていた。
「ここは……地下かな?」
「おいおい、まさかスリザリンかよ?勘弁してく……」
「シッ、黙って」
低めた声で、リーマスはシリウスの口を塞いだ。
何だよ、と目だけで問いかけてくる彼に、囁きのような声で答えを返す。
「向こうに、誰かいる」
常人よりも鋭い聴覚と嗅覚で人の気配を感じ取り、リーマスは身を強張らせた。いつもならば、むしろ愉快なスリルを楽しめる絶好の機会と喜んだだろう。だが、今はとてもそんな気分にはなれなかった。先程からの奇妙な感覚が、彼の足を重く引きずらせている。
「この時間にかよ?こんな陰気くさい場所で逢い引きする奴がいるとも思えねぇけど」
「……わからない、でも……」
「ツラを拝んでみようぜ」
悪趣味極まりないその発言に眉をしかめ、リーマスは静かに首を振る。だが、このスリルが楽しくて仕方ないと言いたげな顔付きのシリウスは、あっさりとそれを黙殺し、彼をぐいぐいと引っ張った。ふたり揃って足音を殺し、石造りの廊下を音を立てずにそっと歩く。突き当たりを右に曲がると、薄暗闇の中にふたつの人影が見えた。
――あれは……
リーマスがギクリと足を止める。
見覚えのある……けれど全く予想外のその姿に、小さく息を飲んだ。
スネイプ。
そしてその傍らに立っているのは、上級生のスリザリンだ。
一瞬、リーマスの頭にリンチ、という言葉が浮かんだ。スリザリンの寮内で行われるリンチは、有名な噂話だ。上級生が下級生に、或いは同学年の間で。だが、これが決して大きな問題にならないのは、全てが寮内で行われ、寮内で終わるからだという。他寮の生徒に他言される事もなく、標的にされた本人が外へ漏らす事もない。スリザリンの秘密は、全て寮の中でに閉じ込められたままなのだ。
だが、とリーマスは緊張した頭のまま考える。リンチは常に、数人がかりで行われると聞く。しかも標的になる人間は『スリザリンに相応しくない』と判断された者だという。一対一のこの状況、ましてスネイプの側に居るのは、近頃彼を気に入りにしていると噂の上級生だ。これはリンチではないだろう。
「ルシウス・マルフォイ」
唇の動きだけでその名を呟き、シリウスはちらりとリーマスに目をやった。気に喰わねぇ、とその顔が如実に語っている。
旧家マルフォイ家の跡取り息子。
白金の髪に秀でた額、冷たく澄み切った水色の瞳。かすかに鼻にかかった発音をする物憂い口調は、貴族然とした彼の容貌に嫌味なほどによく似合っていた。
――マルフォイとセブルスが、こんな夜更けに何を
そこまで考え、リーマスは不安げに眉を寄せた。先程シリウスが軽口を叩いたように、逢い引きをしているのだろうか。
――でも、まさか……
セブルスに限ってそんな事、と心の中でそれを打ち消す。
同性なのに、という思いはなかった。彼自身、スネイプに対する己の感情が恋慕の情に近いものだと、朧げながら自覚し始めていたので。
視界の中、数メートル離れた距離にいるスネイプが、背筋を伸ばしたままに、すいと視線を上げた。
「……就寝時間に、わざわざこんな場所に呼び出してなさる話とも思えませんね」
「おや、規則違反を恐れているのかな?セブルス・スネイプともあろう者が」
声にかすかに笑いを含ませ、マルフォイはゆったりと腕を組み換える。どこか気怠げですらある彼の所作は、いっそ冷酷なまでに優雅だ。
「下らぬ理由で罰則を受けるのが馬鹿らしいだけです」
「つまらない事を言う。誰が罰など?フィルチかい?あんなスクイブ風情に何ができる?」
「……談話室でもよろしかったのでは?」
上級生に対して非礼にならない程度に、かすかに眉をしかめてスネイプは静かに問いかけた。不快を示すその表情は、スクイブという差別用語に対してなのか、或いは己の背に不意に回された腕に対してなのか。ダンスにでも誘うように、マルフォイの右腕がさりげなくスネイプの背を辿り、腰の辺りに留まった。
「談話室?ずいぶんとつれない物言いをするものだ。あんな色気のない場所で、この僕に何をさせる気だい?いけない子だね、セブルス」
「御冗談もほどほどになさって下さい、マルフォイ先輩」
「……まったく、君という人は……」
唇から零れ落ちる溜息までも優雅についてみせ、男はスネイプの身体を冷たい石壁へと押し付けた。正面から囲い込むようにして、黒々と濡れて光る両目を覗き込む。
その光景に、リーマスは瞬間、身を堅く強張らせた。横でしっかりと自分の腕を掴んでいるシリウスの存在がなければ、確実に我を忘れてふたりの前へ飛び出していただろう。
シリウスの顔を見る事もできず、彼は食い入るように、壁に押し付けられたスネイプを見つめていた。
「談話室では、どこに耳目があるかわからないからね……秘密の話には向いていない」
「離して頂けませんか」
「いかなる時も、油断する事なかれ。我が家の家訓だ」
抗議する小さな声を聞き流し、マルフォイは穏やかな仕草でスネイプの耳元に唇を寄せた。高い鼻梁を柔らかな黒髪に掠めさせ、毒を流し込むように囁きを落とす。
「他にもある……欲するものは奪え、これも我が家の家訓のひとつだ」
「……っ」
囁きのついでのように、唇がスネイプの耳を食む。上級生に逆らえない事を承知の上で、マルフォイの舌は貝殻のような耳を柔らかに辿った。少年らしいラインの細長い身体が、拒むように強張る。
「何の事かわかっているね?セブルス」
「……仰る事が、わかり兼ねます」
「ずいぶんと強情だ」
さっきの話だよ。そう囁き、彼はスネイプの顎を形の良い指先でそっと捕らえた。冷たい甘やかさをたたえた唇が、両端を静かに吊り上げる。完璧な微笑を浮かべたそれは、再びゆっくりと開かれた。
「焦らされるのも楽しいけれど……わかるだろう?」
「……」
「困った子だ。あまり露骨な事を言わせないでくれないか?赤面してしまうよ」
クツクツと喉の奥で笑い、鼻先が触れ合うほどに顔を近付ける。唇に浮かべた微笑はそのままに、瞳だけが酷薄な光を放ち、スネイプの暗い瞳を覗き込んでいる。
「ね?」
優しげな声音が、毒の甘さで彼の耳に注ぎ込まれていく。それを嫌がるかのように小さく眉間にしわを寄せた途端、マルフォイの唇がスネイプの唇に柔らかく触れた。上唇を吸い、ゆるりと舌で唇のふちを辿る。しばらく唇の感触を楽しんだ後、決して唇を開かぬスネイプに観念したかのようにゆっくりと顔を離した。ちゅ、と小さな音が石造りの廊下に響く。
「まったく、強情だね」
「……」
「仕方がない、今回はそろそろ諦めてあげよう」
きつい眼差しで己を見つめ続けるスネイプに笑いかけ、マルフォイは上品にそう囁いた。顎を捕らえたままだった指先が、静かに離れていく。それに安堵の息をついた様子に再び薄い笑みを浮かべ、彼は不意打ちのように深く唇を重ねた。
唇の内側、粘膜の部分を擦り合わせるように蹂躙し、逃げる舌を追い、口蓋の弱い部分を舐め上げる。息もつかせぬ程に深く口内を犯し思う存分貪って、最後の仕上げに下唇を吸い上げ、ようやくスネイプの唇を解放した。離した途端、少年は荒い息をつく。慣れぬ事をされたが故の、酸素不足。かすかに涙すら浮かべ、スネイプは咳き込んだ。
「……我が家の家訓を、覚えておくといい」
耳元で甘く囁くと、マルフォイは左手の甲でそっと彼の顔を撫で、ゆるりと身を離した。
その瞬間。
今し方の光景を信じられぬ思いでいたリーマスの身体を、何かが駆け抜けていった。背筋の凍るような、けれどどこか甘い感覚。
近頃では世界中に広まりつつある、その、匂い。
――そんな
馬鹿な、とは思えなかった。この学校とて例外ではない。最近は、この匂いがどこに行っても真綿のように身体に絡み付くのだ。腐りかけの果実のような、甘過ぎる、饐えた匂いが。
――これは……闇の、魔法
リーマス自身、己が身体にその魔法が染み込んでいる為なのか。血管を流れる赤い血が、闇の魔法で染め上げられているが故にか、常人にはなかなか感じ取る事のできぬ闇の魔法の気配には、彼はことのほか敏感だった。
ぞくりと背筋が震える。
たった今、闇の魔法が使われたわけではない。そんな事はありえない。ダンブルドアの守るこの校内で、闇の魔法を使用するなどというのは馬鹿げた事だ。そうではなく、リーマスが感じ取っているこの甘い腐臭は……。
――闇の魔法に、手を染めた者だ……
この御時世だ、珍しくもない。だがしかし、目の前にいるこの人物が、と薄ら寒い思いにリーマスは総毛立った。
当然と言えば当然かも知れない。代々スリザリンに入っている一族の、次期当主。常には口に出さぬまでも、心の底ではマグルを馬鹿にしているのであろうその態度。今まで気付かなかった事の方がおかしいのだ。気付いたからと言って、何をどうする事もできないけれど。
マルフォイの冷たげな白金の髪が、リーマスの視線の中でぬめりと光る。闇に溶け込む事もなく、わずかな光りすらも反射するその髪の色が、やけに禍々しく空恐ろしかった。
「……先輩が何を考えていらっしゃるのか、僕には全くわかりません」
「そうかい?本当は知っている癖にね」
「規則違反は、二度としたくありません」
「あまり可愛らしい事を言うものではない。先生方も、逢い引きには存外寛大なものだよ」
相変わらずの気怠げな口調でマルフォイはそう告げる。今後も、こうして呼び出すぞと念を押すかのように。
ただでさえ白いスネイプの顔が、更に白く色を無くした。
どこをどうやってグリフィンドール寮まで帰って来たのか、リーマスは朧げにしか覚えていなかった。廊下の向こうへと消えて行くふたりの姿を見送った後、シリウスに引っ張られてここまで連れて帰って来た事は、なんとなく覚えている。その道々で彼がずっと、
「やべえよ、やべえって」
と呟き続けていた事も。
太った貴婦人の肖像画を通り抜け(『あら嫌だ、ふたりとも死にそうな顔をしているわよ!』)談話室に座り込んだふたりは青ざめたままで、互いに顔を見交わした。シリウスは空腹も忘れ、呆然としている。
「なあ……あのふたり、マジでできてんのかな?」
「やめろよ」
「だって、キスしてたじゃねぇかよ」
「セブルスは嫌がってただろ!」
不思議な程にキツく大きな声が出て、リーマスは自分でも驚いた。目の前のシリウスは更に驚いた顔をしている。常に穏やかで、滅多な事では大声など出さない彼が怒っているのだ、それも当然だろう。
「何だよ、怒る事ないだろ」
「……ごめん」
戸惑うシリウスに素直に謝り、リーマスは唇を噛み締めた。胸狂おしい思いが渦巻き、どこへそれを投げ出したらいいのかわからない。
「でも、なんかやべぇとこ見ちゃったんじゃねぇの?俺ら」
スリザリンの有名人ふたりの、ただならぬ逢い引きの現場だ。誰もが飛びつきたくなるような、最高のゴシップ。
「ロバ耳爆弾でも使って、全校の皆様に大暴露ってのも面白ぇかもな」
「やめろよ!絶対にそんな事、するなよ!誰にも言うな、シリウス!」
懇願にも近い声音でそう詰め寄るリーマスに鼻白んだように、シリウスは視線をそらした。丸めた透明マントを弄びながら、ソファの上にだらりと身体を伸ばす。
「お前らってさあ、ほんとにスネイプびいきな。わけわかんねぇよ」
「お前ら、って……」
「リーマス君とジェームズ君だよ。決まってんだろ」
吐き捨てるようにそう言うと、つまらねぇと呟いて彼は肌触りの良いクッションに顔を埋めた。
「そういう訳じゃ……」
「そーゆーわけだろ」
言い訳にもならぬ意味のない言葉を舌に乗せると、即座にそう返される。その通りだ。
「あんな嫌味な野郎、何でお前がかばいだてすんのか、俺には全然わかんねぇ」
「シリウス」
「わかんねぇけど、お前が言うなって言うなら、言わねぇよ」
クッションに埋もれたまま話す彼の声はくぐもり聞き取り辛かったが、リーマスはその言葉に頷いた。
「うん……有難う、シリウス」
「ジェームズにも?」
「……ジェームズにも、言わないでくれ」
言わない方が、いい。
あんな事を知ったなら、ジェームズが何かするのは目に見えている。けれどスリザリンの寮内の事に介入するのは、決して得策とは言えなかった。まして、相手はあのマルフォイだ。どんなに巧く事を運んだとしても、その犠牲になるのはスネイプ本人になる。
ジェームズがスネイプに向けている視線を知っているからこそ、リーマスは口を閉じる事を選んだ。ジェームズが事実に気付いた時は、それでいい。けれど徒に事態を大きくし、スネイプを傷つける事だけは避けたかったのだ。
何かを堪えるように両目をきつく瞑り、唇を噛み締める。
瞼の裏に、スネイプの姿が甦った。白金の髪の上級生に押さえ込まれ、唇を奪われる彼の姿が。
――力が欲しい
リーマスの胸に、突き上げるようにその想いが渦を巻く。マルフォイなど物ともしないような、大切なものを確実に守れるような、そんな力が。人狼としての力など、邪魔なだけだ。愛するものを救い、守り、癒せるような……そんな大きな力が、心の底から欲しいと。
瞳からは零せぬ涙を胸の奥で流し、リーマスは炎の消えた暖炉をただ静かに睨み据えていた。
己の力無さを、憎むかのように。
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