運命はカードを配る




 暖炉の明かりに片頬を照らされながら、リーマスは難しい顔でチェス盤を眺めていた。もともと、チェスはあまり得意な方ではない。どうやら盤上の闘いは形勢不利になってきているらしいと悟り、彼は小さく溜息をもらした。

 ――こういうゲームをジェームズとするもんじゃないよねぇ

 じわりじわりと周りから攻められ、気付いた時にはもう遅い。或いは、そうされるのを警戒していると、真正面から攻めてくる。つかみどころのない戦法と、冷静な勝負強さを兼ね備えたジェームズに、未だかつてリーマスは勝てた試しがなかった。
「長考?」
「うーん、ちょっと待って」
「いいよ、いくらでも考えてて」
 ずり落ちてきた丸眼鏡を指で押し上げ、ジェームズはゆったりと笑ってみせた。珍しく静かな談話室は、暖炉の火がパチパチとはぜる音と、小さな話し声、或いは本のページをめくる音が柔らかく響くだけだ。今にも雪が降りそうな寒さのせいか、生徒達はほとんどがおとなしく自室に引き上げているようだった。
「……ビショップをCの5に」
 ガション、とポーンが壊された音にかぶさるようにして、乱暴な足音が談話室の空気を一気に乱した。太った婦人の肖像画から足音高く中に入って来たのは、
「ったく、ふざけんじゃねぇよなぁ?」
「……シリウス」
 うるさい、とふたり同時に呟く声も耳に入らないように、シリウスは真っ黒の髪をぐしゃぐしゃと掻きむしった。常からきちんと着けていないネクタイを引きちぎりそうな勢いで外すと、鼻息も荒くリーマスとジェームズの隣、座り心地の特別に良いソファに腰を下ろした。ほこりを舞い上がらせるシリウスから、ふたりはそっと飲み物を遠ざける。ジェームズはコーヒー、リーマスはたっぷりと甘いココアのカップだ。
「あームカつく!あーもう、マジにムカつく!あの陰険面のヘビ野郎、どうにかしてやんなきゃ気がすまねぇ!」
「……でもさぁ、今日のはどう考えても君が悪いんじゃない?」
「確かにあんなお粗末な悪戯じゃ、チクられても仕方ないような気がするよね。ポーン、Fの5」
 目をギラつかせて喚くシリウスに、ふたりの対応は冷ややかだ。
「うるっせぇなー」
 親友ふたりの冷たい反応に、いささか逆ギレ気味にうなり声をあげる。どこから見ても獰猛なその顔付きを横目で眺め、ジェームズはやれやれと溜息をついた。


 事の次第はこうなのだ。
 魔法生物飼育学の授業はスリザリンとグリフィンドールの合同授業で、今日はサラマンダーに餌をやり、飼育方法を学ぶという内容だった。本当ならば和やかに授業は進み、へえー、サラマンダーって暖炉の火が大好きなんだーなどと子供らしく驚いたり、その体色の美しさにぼうっとなったりと、楽しい時間になるはずだった。
 本当ならば。
 ただいつもと違ったのは、その時、シリウスの隠しポケットには期間限定商品の『一〇〇連クソ爆弾』がいっぱいに詰まっていた事。ここ数日ジェームズが悪戯を積極的にやりたがらなくなっていた事。そして、サラマンダーを驚かせるのは可哀想だと、リーマスが熱烈に主張したという、この三点だ。
「何でだよ、最近ノリが悪いぞ、ジェームズ」
「この手の悪戯は計画的にやらないと面白くないよ。どうしてもって言うならまあ止めないけど、僕はオススメしないな」
「いいから、やめろってば。シリウス、さっさとそれをしまえよ」
 そんな言い合いも虚しく、『一〇〇連クソ爆弾』は火に投げ込まれ、授業は蜂の巣をつついたような大騒ぎになってしまった。
 その結果、スネイプの密告により、グリフィンドールは十点減点され、シリウスは罰として今の今までたったひとりで、飛行術の授業用帚を全て手入れさせられる羽目になったのだった。


「キングをGの5。出たよ、シリウスの逆ギレ」
「ふうん、そっちに逃げたか……キング、Gの7。この間、ハッフルパフの女の子達が言ってたけど『シリウス・ブラックってかっこいいけどすぐキレるから嫌だー』ってさ」
 眼鏡をまた押し上げながら、ちらりと笑ってジェームズがからかう声音でそう告げる。
「あーあー、ハッフルパフのブス女達なんざ、こっちから願い下げだね」
「ワーオ、随分はっきり言うねえ。さすがはシリウス。でも本人達の前では言わない方がいいよ、それ」
 ますます人気が落ちるから、と微笑みながら付け加え、コーヒーカップに口を付ける。そんなジェームズを上目遣いでちらりと見上げ、リーマスは舌で唇を湿らせた。

 ――もしかしたら、初勝利のチャンス……かも

 たった今、盤上に見つけた起死回生の一手に、彼の胸はらしくもなく高鳴る。横でジェームズの言葉に更に不機嫌になっているシリウスなどには目もくれず、ココアの入ったマグカップを握り締めて小さく咳払いをした。
「ナイトをDの5に」
 これでジェームズは指し手に窮するはず、と期待を込めてその顔を見る。眼鏡の奥の瞳が少しだけ意外そうに見開かれ、そっかなるほど、と小さな呟きがもれていた。
「ハッフルパフはこの際どうでも構わねぇけどさ、それよかスネイプだっての、問題は!」
 相変わらず、シリウスひとりが鼻息荒くブツブツと言い続けている。帚の手入れが相当こたえているらしい。
「今度会ったらマジで酷い目に合わせてやる、あの野郎」
「今日の事で仕返しとか、するなよ!シリウス!」
 常になくきつい声を出し、リーマスは逆ギレ男を睨み付けた。確かにスネイプは嫌味だし意地が悪いし、やたらに絡んでくる。だがしかし、とリーマスは心の中で続けた。

 ――だけど、嫌な奴じゃない…かもしれない

 数日前の魔法薬学の授業を思い出し、そうだろ?と己に問いかける。
「何だよ、リーマス。お前あいつの肩持つわけか?」
「そういうんじゃないよ。でも、セブルスは別に悪い奴じゃない」
「……セブルス?」
 言い合いを始めたふたりの間に、静かな声が割って入る。小首を傾げるようにして、頬杖をついたジェームズだ。ほんの少し細めた瞳がちらりとリーマスの上に走り、またシリウスへと戻され、そのままゆっくりと口を開く。
「そうだよ、シリウス。セブルスは別に悪い奴じゃないよ。腹立たしい人物である事には間違いないけど。僕も仕返しには反対だな」
「お前ら、いつからあいつの味方になったんだよ」
「いつだって君の味方さ、シリウス。考えてもごらんよ。この間の仕返しはどんな結果に終わった?」
「……ジェームズ。思い出させるな」
「その前はどうだった?」
「思い出させるなってば」
「そのもうひとつ前は……ああ、君の靴と靴下が何故かグリフィンドール塔のてっぺんに吊るされてたんだっけ?君、確か裸足で帚に乗って取りに行ったよね。セブルスも手の込んだ事するよねえ、魔法で全部やるところが彼らしいというか」
「ジェームズ」
 苦々しげにシリウスが親友の名を呼ぶ。頼むからやめてくれ、と言いたげなその声にほんの少し笑い、彼は頷いてみせた。
「わかったよ、もう言わない。だけど、これではっきりしたろ?仕返しは、やめておけって」
 念を押すようにそう言って、ジェームズはもう一口コーヒーを飲む。傍らで自分をじっと見つめるリーマスに向って肩をすくめ、やれやれとでも言うように。シリウスは黒髪をまたかき回しながら、クソ、とか畜生、などとひとりで呟いている。

 ――今のって、どっちをかばってた?

 リーマスの心で、何かがコトリと音を立てた。
 ジェームズは前からセブルスをファーストネームで呼んでいただろうか?ふたりは仲が悪いんだろう?だって、セブルスはあんなにジェームズを嫌ってる……。
 今までならば気にもならなかった事をひとつひとつ拾い出し、彼はぼんやりと首を傾げた。
「意外と、侮れないね」
 呟きを落とすような声を舌に乗せたジェームズに、はっと顔を上げる。
「えっ…」
 何が、と言いかけたリーマスににっこりと微笑んで、再び彼の唇が動く。
「ルーク、Hの3に。こういう手でくると思わなかったよ……さあ、どうする?リーマス」
 ジェームズのルークが動き、ポーンの前へやって来る。ルークを捨てる手だ。
「……ポーンをHの3に」
 他にどうしようもなく、リーマスはそのルークを取った。ガショ、と駒の砕ける音がする。にっこり笑い、ジェームズが次の手を打つ。
「ポーン、Hの6。チェック。……この間の魔法薬学の授業だっけ?君がセブルスと一緒に実験したのって」
「あ、うん。そうだよ」
「ふうん」
 それ以上何を聞くでもなく、ジェームズはただ、盤上を見つめる。横からシリウスが面白くもなさそうな顔でふたりのゲームを眺めている。
「あん時もあの野郎、俺に間抜け面だの猿だのって言いやがって……」
 言われた嫌味をしっかりと覚えていた彼は、濃いまつげが影を落とす目元を伏せ、ふてくされたように鼻を鳴らした。
「まあまあ、シリウス。君は間抜け面じゃないよ、学年一のハンサムさ」
「キングをHの4に」
「あーあ、下がったね、リーマス。これで、僕のチェックメイトだ」
 ジェームズの言葉通り、リーマスのキングは王冠を外して崩れ落ちた。難しい手で遠回しに攻め込まれ、結果、彼はジェームズの仕掛けた罠にまんまとはまり込んでいたのだ。
「お、さすがはジェームズ」
「ありがとう、シリウス。さっきはちょっとヒヤっとしたけどね」
 盤上を眺めてまだ驚いているリーマスに、かすかに片眉を上げてジェームズは告げる。
「でも、最後に勝たせてもらうのは……僕だよ、リーマス」
 どこか挑戦的な響きを帯びた言葉で、けれど口調だけはひどく優しげに彼はそう続けた。にっこりと、いつもの人好きのする笑顔が、コーヒーの香りの向こう側から投げかけられる。
 かなわないなぁと苦笑いを返しながら、リーマスは胸の奥で何かがザワリと騒ぎはじめるのを感じていた。忍び寄る蛇のようにゆっくりと、けれど確実に。






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