運命はカードを混ぜる




「ポッター!ブラック!ルーピン!」
 きつい声で鋭く名前を呼ばれ、三人は一瞬だけギクリと身体を強張らせた。折しも、隣の机に座る憎らしいスリザリン生の鍋に狙いを定めたところだったからだ。
 魔法薬学の若い女教師は心底うんざりしたような顔で、シリウスに右手を突き出す。
「何ですか、先生?」
「……ブラック、とぼけるのも大概になさい。そのローブの下に隠したものをお出しなさいと言っているのです」
「ローブの下ですって?」
 僕、本当になにもしてません!と言いたげな顔付きで少年はローブをめくってみせた。制服を着た身体が、まだ幼さを感じさせる線のまま、ぶっきらぼうに突っ立っている。
「そう、そこには何もないでしょうね。隠しポケットの中身を早く机の上へ。さもないと、あなたのローブが大変な事になりますよ」
 教師がそう言い終わるのと同時に、シリウスのローブの手前側でおかしな音が響き出した。

「ゲロゲロ」
「ゲコゲコ」
「ゲロゲロ」
「ゲコッッ」

「……やっぱりゾンコの店の『ぶっ飛びカエル』ですね。ローブをお脱ぎなさい、ブラック。早く洗濯しないと、緑に染まったままになりますよ」
 お見通しの顔で軽い溜息をつき、女教師はちらりと生徒に目を走らせた。笑いをこらえているグリフィンドール生達と、小馬鹿にした顔付きで囁き交わしているスリザリン生と。
「何で隠しポケットの事がバレたんだ?」
 納得いかずにブツブツ言うシリウスの足を蹴飛ばして、ジェームズが低い声で囁いた。
「当たり前だろ。最近の先生方の情報網はあなどれないぞ、シリウス」
「うーん、隠しポケットがダメなら、今度はバッグでも持ち歩く?」
 のんびりしたリーマスの声を遮るように、仁王立ちの女教師が厳かに宣言した。
「あなた方も、もう三年生になったのです。少しは魔法使いとしての自覚を持って、授業に臨んで欲しいものですね。……グリフィンドール、五点減点
 抗議の声が上がる前に、彼女はそのまま言葉を続ける。
「三人は別の机で作業をするように。ポッター、あなたはガウアーと組みなさい。ブラックはエディングズの隣に行って。ルーピンは……」
 ぐるりと教室を見渡し、にっこりとしてひとりの生徒のところで視線を止めた。
「そうですね、スネイプと組むのがいいでしょう。では皆さん、それぞれ、材料を揃えるところから始めて下さい」
 途端にガヤガヤと作業を始めた生徒達の中で、三人だけが絶望的な顔をしている。よりによって三人共、スリザリン生と組まされる事になったのだ。
「……マジかよ」
「マジだねぇ。さてと、じゃあ後でね、シリウス、リーマス」
「ふたりはまだいいよ、まだマシだよ。ぼくなんて……」
 リーマスの小さな、そしていささか情けない声が尻すぼみに更に更に小さくなっていく。ちらりと視線を投げ掛けた先には、真っ黒な髪に真っ白な顔でいつも通り不機嫌そうな表情をしたセブルス・スネイプ。シリウスが言うところの『最悪なスリザリンの中でも稀なる最悪さを誇るスネイプ』だ。いつでも何かとこちらに突っかかってくる、嫌味で陰険で、とにかく好人物という言葉の対極に位置するような人間なのだ。リーマスならずともがっくりと肩を落としたくなるというものだ。

「やあ、スネイプ。よろしくね」
「挨拶も結構だがね、ルーピン。せいぜい失敗しないように気を付けてくれたまえよ」
「……うん」
 のっけからあまりと言えばあまりな言われように、リーマスは少し遠くを見る目になって立ち尽くす。

 ――あーあ、保健室行こうかな……嫌だけど……

 埒も無くそんな事を考え、用の無い時にはできれば足を踏み入れたくない保健室を思い浮かべる。目の前にいる陰険面と比べ、どちらがマシかと真剣に考え始めたところで、女教師が教壇で材料の説明を始めた。
「いいですか、今日使用する材料です。まずは……」
 何も机に出していないリーマスは大慌てで、配られた材料を並べ始めた。がさがさとノートを取り出してメモを取ろうとしたところで、冷たい声がかかる。
「……ルーピン、ほこりを立てずに動けないものだろうか?今からそれでは先が思いやられる」
 ごめんと小さな声で返すと、じろりと嫌な目付きで上から下まで眺めまわされる。げんなりとしてノートを取る気力も失せたリーマスは、控えめに溜息をついた。おおっぴらにすると、また何かしら嫌味を言われるに決まっているのだ。
「ルーピン」

 ――来た!

「その手はどうした?」
「……手?」
 言われてギクリとしながら自分の両手を見てみれば、傷だらけのボロボロだ。ほんの数日前だった満月の変身が特にすさまじいものだった事を、その両手の傷が物語っている。服を脱げば、そこかしこにも同じようにたくさんの傷が残ったままだ。幾つかの傷は痕が残るだろう。
 なんでもないように穏やかな笑みを浮かべ、ごまかす言葉を考えていると、スネイプがせせら笑うようにして唇を歪めた。
「まあどうせ、ブラック達と馬鹿馬鹿しい悪戯をして怪我をしたとか、そんなところだろう。グリフィンドール生はお暇なようで結構な話だ。……君の分の満月草をよこしたまえ」
「へっ?」
「満月草をよこしたまえ。細かく刻まねばならん」
 意外な言葉に、リーマスはぽかんと口を開けたままだ。

 ――それってまさか

「……手伝ってくれるの?」
「馬鹿を言うな、誰が君の手伝いなどしてやるものか。ただ、組んで実験をするのに、失敗などされては困るからな。……その手では、薬草など刻めまい」
「え、そんな事ないよ。怪我してても薬草くらい刻めるって…」
 それを聞き、スネイプはわざとらしく大きな溜息をついてみせた。やれやれ、どうしようもないと言わんばかりだ。自分の分の満月草を手早く刻みながら、苛々したように小さく舌打ちをして、スネイプは更に言葉を続ける。
「いいかね、ルーピン。今日これから作る薬品は、わずかではあるが毒性があり、なおかつその原料となる諸々の品は、刺激の強いものが多い。これがどういう事かわかるかね?君のそのぼんやりとした頭に御理解頂く為に重ねて御説明申し上げると、そのように手にいくつも傷のある状態で、これらの刺激性のある材料を扱うと、結果、手の傷が悪化等する事が予想される。まして、出来上がった薬品『ぐにゃぐにゃ薬』が傷口から体内に入りでもしたら、最悪の場合、君の手はぐにゃぐにゃになったままで一生過ごす事になるが、それでもよろしいのかね?」
 嫌味っぽい笑みを唇の端に刻み込んだまま、一息にそう言ってのけたスネイプの顔をまじまじと見つめ、リーマスは小さく頭を横に振った。
結構!それでは、君の満月草を早く僕に渡したまえ」
「……はい」
「君は次の材料の仕度をしていてくれ。……ああ、僕のやる事の手順も、きちんと見ていたまえよ」
 彼は自分の手元を見つめたまま、聞き取れるかとれないかというほどの声で続けた。
「魔法薬学は、不得手なのだろう?」
「知ってたの?」
「気付かぬ方がおかしい。まあ、見ていたところでどうにもなるまいが、もしかすると、今後、無意味に薬品を爆発させるなどの愚行が多少は減る事になるかもしれん。そのうすぼんやりした顔をきっちりこちらへ向けて、せいぜいしっかりとメモでもとるのだな」
 
 ――あれっ?

「うん。ありがとう、スネイプ」
「……嫌味を言われて礼を言うとは、よくよくおめでたい頭をお持ちのようだな、ミスター・ルーピン。それでは、次はネズミの尻尾を八本、よこしたまえ」
 意地の悪い言葉に素直に従いながら、リーマスはなんとはなしに唇が綻ぶのを感じていた。

 ――あれれ?もしかして、もしかして……

「いいかね、蛇の毒液を入れた直後は、決して鍋を乱暴に……馬鹿者!たった今、僕が言った事を聞いていなかったのか!」
「うん、ごめんね……セブルス」
 ファーストネームで呼ばれた事に気付いたのか気付かなかったのか、スネイプは彼の手からひしゃくを取り上げ、おかしな煙を上げ始めた鍋をゆっくりとかき混ぜた。
「すぐに手を洗って来たまえ。この煙は傷に障る」
 ぶっきらぼうな声でそう言うと、リーマスを見ようともせずに鍋の薬品と格闘し始める。

 ――まさかと思うけど、もしかして……いや、でもだけど……

「ありがとう、セブルス」
「早く手を洗いたまえ!」

 ――もしかすると……セブルスって……意外と…

 そして魔法薬学の授業で初めて、リーマスはまともな薬を作り終え、御満悦の表情で教科書をまとめていた。『ぐにゃぐにゃ薬』は火柱を上げて爆発する事もなく、スネイプの努力によってどうにか薄紫色の薬になっていた。
「きょ」
 今日はありがとう、セブルス。
 そう言うはずだったリーマスの言葉は、三つ向こうの机からやってきたシリウスの大きな声にかき消されてしまった。
「あーもう、マジ最悪だぜ、スリザリンとの合同授業!どうにかなんねぇの?これ」
「激しく同感だけど、そういう言い方を大声でするのはどうかと思うな、シリウス」
 優しげな物言いで結局は同じ事を言っているジェームズも加わり、彼は礼を言うどころの騒ぎではなくなってしまった。スリザリンとの合同授業も悪くない、そんな風に思い始めた彼としては複雑な心境だ。
「あのさ……」
 小さな反論を試みようとしたリーマスの言葉は、またもやもうひとつの声にかき消されてしまう。
「まったくもって同感だな、シリウス・ブラック。できる事なら次の授業は、くだらない騒ぎで授業を妨害する、間抜け面のグリフィンドール生がいない事を切望するね。まったく、脳が猿程度の進化で止まっているとしか思えないな、貴様の馬鹿馬鹿しい悪戯を見ていると」
 冷たく暗いその声は、間違いようもなくスネイプのものだ。リーマスのすぐ後ろで教科書を片付けていた彼は、言葉の最後にフン、と鼻で笑うと、颯爽とローブを翻して地下牢教室を後にした。

 ――……あれ?

ふざっけんな、あのクソ野郎!水魔みてぇな暗い面しやがって!」
 ひとり鼻息荒く息巻いているシリウスを横目に、リーマスの視線は地下牢教室の扉を追っていた。滴り落とすように嫌味を零して行った、その彼の名残りを求めるように。

 ――ええと……今日はありがとう、セブルス

 心の中だけで、小さくかすかにそう呟いて。







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