おためし


***バーナビー×虎徹***
性描写が含まれておりますのでご注意下さい。




 褐色の背筋が、しなやかにうねる。汗を浮かせたその背中、中央を走る背骨が描くラインを視線で舐め回し、バーナビーは喘ぐように息をついた。
 引き絞られたように細い腰を掴み、抉るように腰を使う。
 途端、組み敷いた身体は泣くような声を洩らして仰け反った。そのまま、腕で支える事もできなくなったのか、ベッドへと上体が崩れ落ちる。
 綺麗に浮き出した肩胛骨に噛みつきたい衝動に駆られつつ、バーナビーはごくりと生唾を飲み込んだ。ぺろり、唇を舌で舐める。
「……んんぅ、ア、ゃぁ…っは、あァー……」
 抜き差しをゆっくりとした動きに変えれば、吐息と喘ぎの入り混じった声はひどく甘ったるい響きを帯びた。
 ねだるように、きゅうきゅうと締め付けられる。
「……っ、ぁ、そんなに……締め、ないで……」
 かすかな笑い混じりにバーナビーが囁くと、黒髪をパサパサと乱し、こどもが嫌々をするように首を振る。そんな仕草にまた煽られて、バーナビーの昴りは大きさを増してしまう。
 中で質量と硬さを増したそれに、褐色の背中がうねる。自ら腰を揺らし、肩越しにちらり、咎めるような視線を寄越す。涙の光る琥珀に小さく睨まれ、バーナビーはぞくぞくと背筋を震わせた。
「な……かで、でかく、すんな……よぉっ」
「……すみません。あなたがあんまり……可愛らしくて、つい。……泣くほどお嫌でしたら、抜きましょうか?」
 囁いて、ゆっくりと自身の昴りを引き抜いていく。カリのあたりまで引き抜くと、引き留めようとしているのか、甘ったるく食い締められた。
 ねだるような甘え声が、淫らにバーナビーを誘う。
「やだって……抜くな、よ……」
「何です?聞こえませんよ」
「……抜いちゃ、やだぁ……焦らすなよぉ……っ」
 鼻にかかった甘えた声音でそう愚図り、逃がしたくないとでも言うようにバーナビーの雄を甘く締めては深くへと誘う。
 柔らかく、きつく、甘やかに奥へと誘われて、バーナビーは蕩けるような悦楽に震えながら深く息を吐いた。
 崩折れてしまったままの身体にのし掛かるようにして、その背中に胸を重ねる。動きに合わせ、引き抜きかけていた昴りがゆっくり奥へと潜り込んでいく。
「……っ、ぁー……」
 汗に濡れた肌と肌とが密着し、互いの鼓動を伝え合う。再び全てを納めきると、バーナビーの手の下、褐色の肌が嬉しげに震えた。
 一際熱を上げたその肌から、嗅ぎ慣れた薄めの体臭と体液の匂い、そして肌に馴染んだ甘く苦い香水の香りとが立ちのぼる。すべてが入り混じったその匂いに殊更に欲望を刺激され、バーナビーは生唾を飲み込んだ。
 浮いた肩胛骨の間を舌で辿り、首筋を甘く噛む。汗に濡れた襟足の髪を鼻先でかき分け、食むように口吻けを落として。
 細い腰を掴み直し、バーナビーはゆっくりと腰を使い始めた。浅く、深く、ただ快楽を追う。
「ゃ、あ、んぅっ、あ、ァ、ア」
 突き上げる度、褐色の肌のその人の喉からは押し出されるようにして声が洩れる。
「あぁっ……いい、すっげぇ……ぁ、ン、ん!」
 ひどく淫らで切羽詰まった響きを帯びたそれに煽られ、バーナビーからも余裕が失われていく。
「んぁ、ダメ……ァッ、あ……ニィ、ばにぃ……っ」
 荒い息と喘ぎの中、蕩けるような甘さで名を呼ばれ。バーナビーの頭の奥で光が明滅する。
 限界は、もうすぐそこだった。






 ビクリ、身体が動き、唐突に眠りの淵から覚醒する。バーナビーは働きの鈍い寝起きの頭のまま、ぼんやりと天井を眺めた。
「……」
 常から寝起きの良い方ではない。緊急出動要請のコールで起こされた時などは気力で飛び起きるが、普段の起床は目が覚めてからしばし寝床で眠りと現実との狭間を漂う時間を過ごすのが常だ。
 ぱしぱしと数度、瞬きを繰り返す。
「……ぅー……」
 何か、とても良い夢を見ていたような気がする。
 甘くて柔らかくて温かい、ひどく気持ちの良い夢だった。
 ぼんやりと夢の内容を思い出そうとするが、甘い感触だけを残し、夢の残像はするりとバーナビーの手をすり抜けてしまった。
 夢などというのはそういうものだ。嫌な夢は残酷なほどに鮮やかに記憶に残り、良い夢ほど曖昧に霞んであっさりと消えてしまう。
 取り残されたような、どこか寂しい気持ちがバーナビーの胸に小さな染みを残す。
 そのほのかな寂しさが胸の奥をわずかに痛ませる感触を味わいながら、ベッドの中、小さく身じろいで。
「……っ……!?」
 違和感に、今度こそバーナビーは勢い良く飛び起きた。恐る恐る、上掛けの中をのぞき込む。
 下着一枚しか身に着けずに眠るのが、幸いと言おうか不幸と言おうか。変化はあまりにも明白で、バーナビーはがっくりと肩を落とした。
「あー……参ったな……」
 濡れて色を変えたボクサーパンツが徐々に冷えて肌に張り付く感触が気持ち悪く、ため息をつきながらバーナビーは下着を脱ぎ捨てた。
 気持ち良い夢だったのは当然だ。それどころかいやらしい夢を見ていたのかと、そんな己に苦笑するしかない。そういえばここしばらく、緊急出動が続いて自分で処理をするのも忘れていたと気付き、バーナビーは片手で顔を覆った。
 男の生理現象とは言え、恥ずかしさと若干の自己嫌悪があるのは否めない。吐精してしまう前に目覚めていれば良かったのだが、それも今更の話だ。
 夢の中、淫らな行為に耽っていた相手の顔すらも覚えていないが、手触りの良い肌だけは記憶の隅に朧気に残っている。自分勝手な欲望の対象にしたのが誰だったか覚えていないのは、せめてもの救いかもしれない。
「シャワー浴びよう……」
 眠りの気怠さと妙にすっきりした感覚と罪悪感と、それらすべてをない交ぜにして身体に抱いたまま。バーナビーはベッドからシーツを引き剥がし、バスルームへと向かった。




 バーナビーがヒーロー業に復帰して、そろそろ一ヶ月ほどになろうとしている。二部で活動しているワイルドタイガーの相棒として復帰した為、同じ二部での活動だ。
 人を守り助ける事が自分の使命、そしてそれは虎徹の隣でなければ意味がないのだと。己の人生を見つめてたどり着いた答えは、そんなシンプルなものだった。
 一年間、今までの人生に散らばった嘘と真実とを並べて悩んで考え抜いて。自分の中に灯る、暖かで大切なものを拾い集めて。そうして最後にたどり着いた、答え。
 それが正解か不正解かなど、今のバーナビーにはまだわからないけれど。ヒーローに復帰してからと言うもの、毎日が楽しくて仕方ないのは、変えようもない事実だった。
 楽しくて仕方ないのはともかくとして、二部の生活は下手をすると一部だった時よりも多忙だ。
 何しろ、出動回数が多い。一部と違い小さな事件を扱う為、ちょこちょこと出動要請がかかるのだ。
 それに加え、衝撃の再デビューを果たした元KOHという事で、雑誌やテレビの取材も少なくはない。アポロンメディアのイメージ回復の為にも、そうした取材を積極的に受ける事はバーナビーの重要な仕事の一環だった。
 そんな多忙な日々を過ごしているせいで、今回は自身の性欲の処理がまったくの後回しになっていたという訳なのだが。
 熱めのシャワーを頭から浴びて目を覚ましつつ、バーナビーは小さくため息をついた。
 健康極まりない肉体を持つ若い男が、性欲を持て余すのは当然の話だ。恋人やセックスフレンドでもいれば何も問題はないのだろうが、あいにくとバーナビーにはどちらもいなかった。

 ――……恋人、か……

 その単語を頭の中で繰り返しながら、ボディソープを泡立てる。自身の使う香水と同銘柄で揃えたそれは、海の風を思わせる爽やかな香りで浴室を満たした。
 恋というものが、正直な話、バーナビーにはよくわからない。
 一度、これが恋だろうかと思うような事が、あるにはあったのだ。アカデミー時代の話だ。笑顔の綺麗な清楚な女性だった事を覚えている。
 遠くに咲く花を眺めて幸せになるような、そんな淡く柔らかな想い。告白などという事に思いも至らず、ただ時折、その姿を眺めるだけで満足だった。言葉を交わした事も数えるほどの、あれが今思えば自分の初恋だったと言えるのかな、と。ぼんやりとバーナビーは考える。
 ウロボロスを追い、両親の仇を討つ事だけを考えて生きてきたバーナビーにとって、恋など二の次三の次の問題だった。結果、両親の仇を取って復讐に一区切りがついた今でさえ、バーナビーにはその感情が今一つわからないままだ。
 無論、彼がモテないわけではないのだ。どちらかと言えば、世間一般の男よりもはるかにモテているだろう。
 ヒーローとしてだけでなく、端麗な容姿と明るく爽やかな物腰は、女性を引き付けずにはおかない。
 一部時代は当然ながら、二部として復帰した今も雑誌やテレビの取材、モデルのような仕事をした後には、セレブと呼ばれる人々の名刺が男女の別を問わず何枚も増える羽目になる。プライベートの連絡先を添えて胸元に忍ばされる甘い紙切れは、けれど結局は活用されないままに資源ゴミとしてその役割を終えるだけだ。
 そういった事は、バーナビーにとっては煩わしいだけだった。
 幼い頃の両親の印象と彼らへの憧れが強いせいだろうか、バーナビーは浮ついた遊びのような恋にはまったく興味が持てないのだ。生涯を共にする、互いに支え合えるような、そんな女性と。自分もいつか出会えるといいと、それはバーナビーの胸の底に眠る、ほのかでひそかな憧れだった。
 熱めのシャワーの湯が、肌を覆う泡を洗い流していく。ようやく目が覚めたような心地でひとつ吐息をつき、バーナビーは濡れて色味を濃くした髪をぐいと後ろへかき上げた。
 今日もまた忙しいヒーローの一日が、始まろうとしていた。






 本日のスケジュールは、午前中はバーナビー単独でファッション誌のグラビア撮影。アポロンメディアに戻った後にデスクワーク、昼食を挟んでふたり揃ってのタウン誌の取材、そしてトレーニングといったところだ。
 グラビア撮影を終えてアポロンメディア社屋へと出社したバーナビーは、ヒーロー事業部に足を踏み入れてことりと首を傾げた。
 そこにいるはずの人物の姿が、ない。
「あら、おはよう……って、もうすぐお昼ね。今日は出社する日だったの?」
「おはようございます。ええ、今日はちょっと、こちらで書類を作成しなければいけなくて。……ところで、この人は?」
 この人、と空っぽの隣席を指さして問えば、経理の女性は無愛想な顔のままに肩を竦めてみせた。
「さっき『ちょっと休憩してきまーす』とか言いながら出て行ったきり戻って来ないわよ。まったくもう、まだこの前の賠償金問題の処理、終わってないっていうのに」
 散らかったままのデスクの上には、まさにその賠償金に関する資料が散乱している。自分が壊したもののリストを見ながら報告書を書くのに飽きて、投げ出したというところだろう。
 その様子が手に取るように想像できて、バーナビーはふう……と深いため息をついた。
「サボリですね……」
「どうやらね」
「すみません。連れ戻して来ます」
「あらそう?悪いわね、お願いするわ」
 少しも悪いと思っていないいつもの声でそう言われ、バーナビーは小さく笑った。
「仕方ありません、相棒ですから。……行き先の心当たりもありますし、ね」




 シュッと軽い音がして、ドアがスライドする。途端、室内から聞き慣れた笑い声が響き、バーナビーはひくりと片眉を上げた。メカニックのモニタールームの中へ足を踏み入れ、呆れたようにひとつ、盛大なため息をついてみせる。
「……やっぱりここでしたか」
「おー、相方のお迎えだぞ、虎徹」
「よっ!バニーちゃんおはよ!」
「もう昼ですよ。ていうか、やりかけの仕事があるんじゃないんですか。いつまで油売ってるつもりです?」
 斎藤とベンにはきちんと会釈をしながらも、脳天気な顔で片手をあげる相棒に厳しい顔を向ける。甘やかしていると、ずるずると虎徹のペースにはまって自分もこの雑談の輪に混ざってしまうのがバーナビーには目に見えていた。
「悪ぃ悪ぃ!すーぐ帰ろうと思ってたんだけどさ、ベンさんもいたからつい話に夢中になっちゃって」
「おい虎徹、俺のせいにするんじゃねぇよ」
「そおゆうわけじゃないですってー」
 笑いながら言われ、虎徹は眉尻を下げて頬を掻いた。そんなふたりのやりとりを眺めながら、斎藤が口を開く。
「……」
「んん?何?何て?」
 斎藤の口元に耳を寄せ言われた事を聞き取ると、虎徹はふわり、ひどく柔らかな顔で微笑んだ。先ほどまでの大口を開けた笑い顔とは異なる、優しげで、ほんの少し照れくさそうな笑み。
「……うん、そっすね」
 素直に頷き帽子を取ると、ぽんと頭に載せて椅子を立つ。斎藤とベンに軽く片手を振りながら、男は傍らに立つバーナビーの肩に手を置いた。
「お出迎え、ありがとさん」
「どういたしまして。ほら、さっさと戻って報告書仕上げて下さいよ。あなたがちゃんと終わらせてくれないと、僕にとばっちりが来る」
「だーって、デスクワーク嫌いなんだよぉ」
「知ってますよ。まったく、逃げたからってデスクワークがなくなるわけじゃないんですからね」
 唇を尖らせる虎徹をいなしつつ、バーナビーはふたりに目顔で軽く挨拶をする。
「いつもすみません、お邪魔しました」
「おーう、じゃあそいつのお守りは頼んだぞ、バーナビー」
「お守りって何スか、もーベンさーん」
「お守はお守だろう?」
「斎藤さんまでー」
「ほら、行きますよ虎徹さん」
 こどものような口調で愚図ってみせる虎徹を再度促し、ふたりは連れだってモニタールームから出て行った。ドアの向こうへ消えていくヒーローふたりの後ろ姿を見送りながら、斎藤がいつもの小さな声でしみじみと呟く。
「まったく、楽しそうで何よりだね」
「ああ、そうだなあ。本当に楽しそうだよな、あいつら」
「バーナビーが復帰したのがよほど嬉しいんだろうな、タイガーは」
「そりゃそうだろ!斎藤ちゃんだって見ただろ?虎徹のあの甘ったれた顔!」
「タイガーだけじゃないよ。バーナビーもだ」
「……だ、なあ……お互いに良い影響、与え合ってるって事なんだろうなあ」
 感慨深げに、そして本当に少しだけの寂しさを滲ませ、ベンもまた、しみじみと頷いた。そんな顔を横目に見やり、斎藤が意地の悪い笑みを浮かべてみせる。
「寂しいんじゃないのかい?」
「あぁっ?寂しくなんか……ってか、こんな時ばっか急に声張ってんじゃねぇよ、斎藤ちゃん!」
 照れ隠しのように怒ったふりをして見せて、それからベンはふっと肩の力を抜き、ドアの方をゆっくりと見やった。父親のような優しさに満ちた、包み込む笑みがその顔には浮かんでいる。
「まあ、でもよ……あいつらがコンビ組んでるのがまた見られて……こんなに嬉しい事ぁねぇよ、俺は」




 エレベーターホールまでの長い廊下を歩きながらも、バーナビーのお説教は続いていた。そのほとんどを右から左に聞き流している風情の相棒をじろりと睨み付け、彼はくい、と眼鏡を押し上げる。
「まったく……あなたって人は。ちょっと目を離しただけですぐにサボろうとするんですから。油断も隙もありませんね」
「サボってたわけじゃありませんー。ちょっと休憩してただけですー」
「それを一般的にはサボリと言うんですよ。わかりましたか、おじさん?」
「へーいへい、わっかりましたよ、バニー、ちゃん!」
 ちゃん、と殊更に強調して答えながらも、その虎徹の口元は隠しきれない笑みを含んでいる。その口の端に現れる小さなしわを見やりながら、バーナビーもうっすらと唇に笑みを浮かべた。
 こんなひとときが、楽しい。
 楽しくて楽しくて仕方ないのだ。
 ヒーローに復帰してからというもの、こうしてまた、毎日虎徹と過ごして。だらしない虎徹を捕まえては、お説教を喰らわせて。共に犯人を追いかけ、困っている人々を助ける。
 そんな、毎日が。
 バーナビーには楽しくてならない。
 こうして虎徹に口うるさい事を言っているそばから、胸の奥がくすぐったいような、そんな心地になってしまう。本当にどうしようもない人だな、と思う気持ちも真実で。けれど同時に、暖かな火が灯るような、柔らかな心地良さも真実だ。唇が、どうしても笑みの形になってしまう。
 そんな緩んだ口元を意識してきゅっと引き締めつつ、バーナビーがエレベーターの昇降ボタンを押す。ほどなくやってきたエレベーターに乗り込み、階数ボタンを押すと。
 傍らの相棒が、小さく笑った。
「……何です?」
「いやあ……」
「何ですニヤニヤして……気持ち悪い」
「うるっせ!……いや、やっぱ楽しいなって」
「は?」
 首を傾げながら見やれば、虎徹は目尻を下げた柔らかな顔で、エレベーターの壁に寄りかかりながら、上方に表示される階数を眺めている。
「……この表示がですか?」
「それじゃねーよ。……おまえとさ、こうやってんのが。やっぱり楽しいなあって思って、さ」
 言って、不意にバーナビーと視線を合わせてにしゃりと全開の笑みを浮かべてみせる。虚を突かれたバーナビーが目を真ん丸に見開くと、それもまた楽しいとでも言うように喉奥でくつくつと笑った。

 ――……ああ、もう!

 かなわない。
 虎徹に対していつも感じるそんな思いが、バーナビーの胸を揺さぶる。
 同じように感じていた事がこんなにも嬉しいなんてどうかしていると思いながら、バーナビーは何故だか赤くなってしまった顔を誤魔化すようにして眼鏡のブリッジを押し上げた。色の白さの難点は、動揺が肌に出やすいところだ。
「そんな風に言っても、報告書作るのは手伝いませんからね。ご自分でやって下さいよ」
「だっ!いいだろー、ちょっとくらい手伝ってくれたって!ケチケチすんなって!」
 当てが外れたとばかりに口を尖らせる虎徹を眼鏡越し、ちらりと流し見て。その表情に、少しだけ溜飲が下がる。
 エレベーターが目的階に着く軽い音がして、身体にふわり、浮遊感と圧迫感を感じる。滑らかに開く扉に一歩踏み出し、ふと、バーナビーは足を止めた。
「……僕もですよ」
 呟くように言葉を落とせば、半歩後ろにいた相棒は彼にぶつかりそうになりながら首を傾げた。
「おっまえ、急に止まんな!何、何て?」
「僕も、こうしているのが……とても楽しいです」
 言って、自然に零れ出た笑みを隠さぬまま、虎徹に笑いかける。心の底からの言葉と、掛け値なしの微笑みだ。
 不意に向けられたそんなものに、今度は虎徹の方が虚を突かれて。驚いたように目を丸くして、固まってしまう。
 そんな虎徹を置いたまま先にエレベーターを降り、バーナビーは肩越しに軽く振り返った。
「何グズグズしてるんです?置いて行きますよ」
 途端、タイミング良くエレベーターの扉がスーッと閉じて行き、虎徹は慌てたように開ボタンを押して飛び出して来た。片手で帽子を押さえ、軽くたたらを踏む。
 そんな様子を目を細めて見やり、バーナビーは先に立って、ヒーロー事業部へと歩き始めた。
 その後ろ姿を眺めて、虎徹は。
 ゆっくりと噛みしめるように、その顔に柔らかな笑みを浮かべた。照れくさげに一度面を伏せ、それから大股にバーナビーの隣へと歩を進める。
 ちらり、視線を寄越すバーナビーとふたり、彼らは肩を並べて同じ歩調で、アポロンメディアの広い廊下をゆっくりと歩いて行った。






「あっ、タイガーさんとバーナビーさん!ひさしぶりだね!」
「えっ、タイガー!?」
「あらぁ、もうおふたりさんが来るような時間?今日は時間が経つの早いわねぇ」
 はしゃいだ声と喜びを隠しきれない声、そして笑みを含んだ柔らかな声。どれもが好意に満ちたそれで、虎徹とバーナビーは彼らに手を挙げて挨拶してから、なんとはなしに目を見合わせて笑い合った。
 ヒーロー達の集まるトレーニングセンターでは、今日は女子組が顔を揃えて話に花を咲かせているところだった。二部はこのトレーニングセンターを使える時間が限られている為、顔を合わせるのが久々の人間もいる。駆け寄ってきたドラゴンキッドの頭を撫でながら、虎徹は目を細めた。
「お、ドラゴンキッド。また背ぇ伸びたんじゃないか?」
「二週間くらいでそんなに伸びないよ!……でも、そうかな?」
「伸びた伸びた!ほら!」
「えへへ、実は牛乳毎日飲んでるんだ。伸びてたら嬉しいな!」
「牛乳飲んでるのかあ!偉いぞー、ドラゴンキッド。それならバニーの背ぐらいすぐに追い越しちゃうな!」
「……そこまでは伸びなくていいかな……」
 ほのぼのとしたやり取りを隣で聞いていたバーナビーが、自分を引き合いに出されて口を挟んだ。
「僕より先に虎徹さんが追い越されますよ、あなたの方が僕より背が低いんですからね」
「低いってほど低くねーよ!?」
「五センチ違えば充分ですよ。ねえ?」
 食ってかかる虎徹に涼しい顔をしてみせながら、バーナビーはドラゴンキッドに同意を求める。そんなふたりを見比べて、少女はきっぱりと頷いた。
「うん、タイガーさんの方がバーナビーさんより低いね」
「低いってもそれほどじゃないだろー?」
「ううん。言われてみれば全然違うよ、こうやって見ると」
 曇りのない瞳で言い切られ、虎徹はがっくりと肩を落とした。バーナビーより少しだけ身長が低い自覚はあったが、傍目に見てそれほど差があるとも思っていなかったのだ。ふたり共、身長は高めの部類ではあるが、何かこう、負けたようで悔しい気分になるのは否めない。
 いつの間にか傍に来ていたブルーローズが、そっぽを向いたままで口を開いた。
「……でも、それだけあれば充分じゃない?女の子、とかにとっては、やっぱり背が高いとかっこ……ぃぃ、とか、あると、思うし……」
 途中からごにょごにょと口の中で言うだけになった言葉は、けれど周囲みんなの耳に届いている。無論、それは虎徹も例外ではなく。嬉しそうな、全開の笑顔がその顔に浮かんだ。
 それを見て焦ったのはブルーローズの方で、慌てたように言葉を続ける。
「ちっ、違、別に私がってわけじゃなくて!一般的な……」
「そっかー!やっぱ背が高い方がいいかー!うちのチビもそう思ってくれてっかなぁ」
「…………は?」
「いやほら、うちの娘に『お父さんカッコ悪い』って言われちまったからさあ。またちょっとかっこいいとこ見せないといけねーんだわ」
 デレデレと続けられたその言葉に、ブルーローズはこめかみをひくりと引きつらせた。まるっきり人の気持ちをわかっていない中年男にこども扱いされなくなるのは、一体いつの日になるのか。
 言われるのなんて当然でしょ!ほんとにカッコ悪いんだから!そんな素直じゃない言葉が口から飛び出しそうになった、その瞬間。ポンポン、と頭を撫でられる。
「おまえも今期、すっごく頑張ってるもんなあ。おじさんも負けてらんねーなあ」
 柔らかな声で言われ、ブルーローズの頬が淡く染まった。唇を尖らせ、困ったように下を向く。
「べ、別に、そんな……」
「いや、頑張ってるって!なあ、ドラゴンキッドもそう思うだろ?」
「うん、ボクもそう思う!現場到着も早いし、張り切ってるよね。何かあったのー?」
「なっ!何にもない!何にもないから!」
 天然かわざとかわからないドラゴンキッドの言葉に過剰に反応し、ブルーローズが激しく首を振る。そんな女の子ふたりのやり取りに挟まれ、虎徹は父親の顔をして、ひどく楽しげに笑った。
 騒いでいる面々を傍目に、バーナビーはマシンの横でトレーニングの準備を始める。アキレス腱を伸ばしつつ、軽く身体を解していると。
 女子組の最年長者、ファイヤーエンブレムがついっと傍らに寄ってくる。
「今日も綺麗な顔してるわね、ハンサム」
「どうも。今日はトレーニングはもう終わりですか?」
「ええ、後の仕事が控えてるから、今日はこのくらいにしとくわ。……それにしても、罪な男よねぇ、あいつ。妬けるんじゃない?」
 あいつ、と目線で指し示されるまでもなく、この場に今いる他の男は虎徹だけだ。ストレッチを止める事もなく、バーナビーは軽く笑った。
「いいんじゃないですか、虎徹さんは年下に慕われる人ですし」
「あら、余裕。つまんないわねぇ……ハンサムは焼き餅妬くタイプだと思ったのに」
「何です、焼き餅って。ドラゴンキッドとブルーローズにモテても別に羨ましいとは……あぁ、ある種の人望という意味では羨ましいかな」
 肩を竦めつつそう返すバーナビーに、ファイヤーエンブレムは身をよじり、ぐっと顔を傍に寄せた。
「ん、もう!めんどくさいわねぇ……バレバレなんだから隠さなくたっていいのよ?」
「……?」
「『恋と咳とは隠せない』って事!口出すつもりはないけど、何かあった時に愚痴聞くくらいはしてあげるわよ。あのニブい男相手じゃ大変でしょ?」
「…………はい?」
 言語そのものが理解できなかったように、バーナビーが首を傾げる。ストレッチの手も止めて、全身から疑問符がまき散らされている状態だ。
「え、だから……え?やだ、まさか」
 そんなバーナビーの、無垢そのものの表情を見て、ファイヤーエンブレムは己の犯した間違いに気付く。
「やだ……まさかアタシの勘違い!?嘘でしょ、やだごめんなさいハンサム!忘れて!」
 やだぁ!と身をくねらせ、彼女は恥ずかしそうに両手で頬を隠して女子組と虎徹の談笑する輪へ走って行ってしまう。
 爆弾発言を投下されて固まったままのバーナビーをフォローもせずに残したままに、だ。
「………………え?」
 首を傾げたままに、瞬きを幾度か繰り返す。脳の処理能力が追いついていない。聞き慣れない単語とよくわからない文脈が、バーナビーを混乱させたままだ。
 焼き餅?
 バレバレ?
 ……恋?
 ファイヤーエンブレムの言葉を脳内で繰り返し、幾度も反芻する。頭痛がしそうなくらいの混乱と動揺が、バーナビーの身の内で渦巻いている。

 ――……恋?あのニブい男相手……って?

 そこまで考え、カッと頬が熱くなる。そんなまさか、と慌てて打ち消し、ぶんぶんと首を振る。
 そんなまさか、だ。
 同性愛云々以前に、相手があの人だなんて、と。意識してそちらを見ないようにするバーナビーの耳が、ファイヤーエンブレムと笑い合う虎徹の声を拾ってしまう。途端、身体中の血がズクリと疼いた。

 ――そんな、まさか!

 有り得ない、恋っていうのはもっとこう……遠くに咲く花を見守るような、そんな感情だったはずだ。乏しい記憶を辿りながら、バーナビーは己の心に必死に言い訳をする。
 有り得ないと心の中で繰り返し、男は意を決して、見ないようにしていた虎徹へと視線をやった。女子組とふざけ合う後ろ姿が、しっかりと目に入る。
「……っ!」
 刹那、バーナビーの脳裏に記憶が甦った。起きた途端に忘れてしまった、夢の記憶。今日の朝方に見た、淫らな夢の内容を。
 褐色の、うねる背中。
 引き締まった細い腰。
 汗で湿った黒髪の向こうから咎める視線を寄越すのは、甘えを含んだ琥珀の瞳だ。
 聞いた事などあるはずのない喘ぎまでもが耳に甦り、バーナビーは片手で口元を覆った。
 全身の血が、沸騰でもしたかのようだ。心臓の音が、どうしようもないほどにうるさい。立っているのがやっとなほどの衝撃で、膝が震えた。

 ――……そんな、まさか……

 まさか本当に、この人に。
 突然に自覚を促された己の感情に、バーナビーはただ呆然とする事しかできはしない。見慣れたはずの後ろ姿を、見知らぬもののような気持ちで食い入るように見つめる。
「そろそろトレーニングしないとバニーに叱られっかなー……って、バニー!?」
 視線を感じたのか、虎徹が振り返り、ぎょっとしたように声をあげた。
「おまえ、顔真っ赤だぞ!?熱でも出たのか!?」
 慌てたように走り寄られ、バーナビーは必死に首を横に振った。……色の白さの難点は、肌が動揺を隠せないところだ。
 久々に、能力を使ってこの場を逃げ去りたい気分になりながら、バーナビーは。もはや言い訳もできない己の心とその感情に、目眩すら感じていた。


 恋に疎くて鈍いふたりの、そんな、始まり。





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